特集


銀行券の受け払いが物語るもの

日本銀行富山事務所長 大場輝喜


県内景気の概観

 筆者が、当地に赴任して以来、富山県の金融経済と関わり始めて2年半が経つ。この間、県内経済はどのように変化して来ただろうか。県商工労働部が「経済情勢報告」として毎月公表する資料に基づき、経過を概観してみよう。
 「2.富山県の動き」の「(1)概況」部分を抜粋すると以下の通りだ。

2001年(平成13年)8月当時に曰く、
 「本県経済をみると、個人消費は、弱含みとなっている。住宅建設も弱含みとなっている。設備投資は、増加している。当面は製造業を中心として堅調に推移すると見込まれるものの、先行きについては鈍化の兆しがみられる。公共投資は、低調に推移している。鉱工業生産は、引き続き減少する中で、在庫が増加している。雇用情勢は、依然として厳しい状況にあり、求人や残業時間も弱含んでいる。消費者物価は弱含んでいる。
 以上のように最近の本県経済は、景気は悪化している。」

最も新しい2003年(平成15年)12月に曰く、
 「本県経済をみると、個人消費は、引き続き弱含んでいる。住宅建設は、持ち直しの動きがみられる。設備投資は、持ち直しつつある。公共投資は、低調に推移している。生産は、横ばいで推移する中で、持ち直しの動きもみられる。雇用情勢は、依然として厳しいものの、有効求人倍率が引き続き上昇するなど、持ち直している。倒産は、緩やかに減少している。消費者物価は、横ばいとなっている。
 以上のように最近の本県経済は、景気は、厳しい情勢にあるものの、緩やかに持ち直している。先行きについては、今後の株価や円高への動きに留意する必要がある。」

 読み比べてみて分かる通り、県内景気全般として、最近時点の水準が2年半前に比べて上回っているかどうかは不明ながら、方向観としては、2年半前には下向きにあったのに対して、現在は上向きにあるものと窺われる。


転換への経緯

 県内景気が、下向きから上向き傾向に転じ始めるまでの経過を辿ってみよう。
 2002年(平成14年)前半以降、輸出・生産が徐々に回復し、企業収益も文字どおりのV字回復をみた。しかし、教科書風に言えば、その後に続くべきはずの「設備投資」と「個人消費」が動かず、そのまま横ばい状況が続き、むしろ先行き不透明感を強めていた。その背景には、企業家の「縮み指向」があった。世の中が、「金融機関の不良資産の早期処理」の大合唱になったことから、企業家としてもとにかく不良債権処理の対象にならないよう「財務内容」を良くすることが先決と考えた。人件費を削減するべくリストラに注力する一方、収益回復で急増したキャッシュフローを、極力、借入金の返済に充当したのである。この結果、収益増が、「設備投資」の増加に繋がることはなく、また、賃金は逆に減らす先が多かったことから、「個人消費」も伸びないという状況が続いた。
 ところが2003年度(平成15年度)入りすると、企業収益は更に増加の気配にあったうえ、その中身が劇的に変化してきた。製造業中心に、リストラ努力が損益分岐点の大幅引き下げに繋がり、本業である売り上げを伸ばせば、そのまま収益増が見込める体制を確立し得た企業が増え始めた。そうなると、企業としては、リストラよりも本業の売上増に注力するようになり、つれて「設備投資」に踏み切る先もみられ始めるようになった。


企業間格差の拡大

 もっとも、この一方で、企業間格差が急拡大していることも事実だ。とりわけ業況不芳先の凋落振りが一段と目立ってきており、全体の足を大きく引っ張る形になっている。実はこれが、業況回復先が増加している中で、景気回復感がいまひとつ乏しい原因の一つだ。
 例えば、北陸地域を対象とした短観の2003年度(平成15年度)売上計画はほぼ横ばいであるが、売り上げ増加先と売り上げ減少先とに区分してみると、2001、02年(平成13、14年)には大差がなかったものが、ここにきてはっきりとした差になって表れている。また、売り上げ増加先が収益も2年連続で大幅増加しているのに、売り上げ減少先はほぼ横ばいにとどまっている。さらに、増益先が設備投資についても積極姿勢に転じ始めているのに、減益先は、逆に設備投資を大きく減少させ、競争力を弱めている。
 要するに、売り上げ減少先は、逆に景気悪化の方向にスパイラル的に落ち込んでいく危険性を内包し、売り上げ増加先との間でいわば綱引きをする格好になっている。加えて、元気な企業の多くが製造業に集中しており、非製造業への波及は正直今一つであるのも気掛かりだ。


銀行券の受け払いからみた特徴

 今まで述べてきたことは、実態経済面の動きをお浚いした。ここで視点を変えて、その背後にある金融面の特徴的な動きに触れてみたい。一般論としては、経済の好調不調とお札すなわち銀行券の流通量とは密接な関係があることはよく知られている。
 日本全体の話になるが、銀行券の流通テンポを振り返ると、1980年代前半(昭和55年から60年)までは、銀行券の伸び率は名目GDP(国内総生産)成長率と概ね見合っていた。言い換えれば、銀行券の対名目GDP比は、80年代前半以前は比較的安定して推移していた。
 その後、特に90年代後半(平成8年から11年)以降、両者の乖離が目立つようになり、銀行券の伸び率が一段と高まるようになった。基本的には2003年中を通じて同様な傾向がみられた。

 こうした動きを、富山県だけを取り出して計測することは、統計の制約があり無理なのだが、近似的には、日本銀行富山事務所の取り扱う銀行券の受け払い計数を通じて、推測できないことではない。かなり大胆な冒険であるが、ここ数年における銀行券の動きから県内金融経済に関する特徴的な動きを、いわば「仮説」としてあげてみた。

受払額の規模縮小
 第一の特徴は、ここ数年の間に受け払い双方とも規模が縮小していること。
  1998年までの受払金額は1年間に概ね約1兆円に上ったが、漸次減少傾向を辿り、2003年(平成15年11月までの累計から推測)には7千億円前後になると見込まれる。この約5年間に、富山県の経済規模が銀行券の受払金額と同程度の3割も縮小したとは考えられないが、県内経済活動の停滞を物語ることは確かなようだ。

支払超から受入超へ
 第二の特徴は、支払いから受入れを引いた差し引き額が縮小傾向を経て受入れ超に転じたこと。
 富山県の場合、県外からの観光客やビジネス客が多数訪れ、県内で銀行券を使用していく要素が相対的に薄いので、通常は受入れられた金額に比べて支払われた金額の方が上回る支払超となる傾向がみられた。それが2003年(平成15年11月まで)には僅かながらも受入超に転じた。
 この要因としては、一方に支払額の減少がある。このところ企業では人件費の圧縮に努めており、給与の支払いが減少している分、従業員が金融機関から引き出す銀行券の金額が減っている側面は否めまい。
 他方には受入額の増加がある。上述した観光客やビジネス客が増え、県内で使用する銀行券が増えたのであれば、プラスの評価となろう。現に2003年(平成15年)中、黒部立山アルペンルートを訪れた観光客が増えた事情もあるいは影響した可能性はあり得る。もう一つ大胆な仮説を立てれば、ペイオフ部分解禁などで一旦金融機関から引き出され県民の間で手持ち現金として保有されていたのが、ペイオフ全面解禁の延期に伴い、金融機関預金など現金以外の金融資産に再度振り変わったのかも知れない。

支払いの小口化
 第三の特徴は、受け払いされた銀行券を券種別にみると千円券だけが支払超となったこと。
 2003年(平成15年11月まで)中の受払差し引き額は、一万円券、五千円券および二千円券いずれも受入超となったのに対して、千円券だけは支払超となった。預金引き出し額の小口化の現われである。従来であれば、日常必要な現金を引き出す際には1万円なり3万円なり、一万円券単位であった。それが、8千円とか2万7千円とか、千円券単位の端数を伴った引き出しが目立つとの指摘がある。消費者の極めて堅実な姿勢を反映しているものと言えそうだ。

 こうした肌目細かい引き出しが続くとすれば、景気を支える有力な項目である個人消費の立ち上がりにはいま少し時間が掛かるかも知れない。


お札(日本銀行券)の受払金額
とやま経済月報
平成16年1月号