特集


中国経済の変化が日本に与える影響
―グローバルとローカルに新たな可能性を―

一橋大学大学院商学研究科教授 関 満博


東莞に行ったことはありますか

 2000年の秋の頃から、それまでしばらく途絶えていた日本企業の中国視察が活発化している。「中国経済」をテーマにするセミナーは活況を呈している。セミナーの席上、最近、私は黒板に「東莞市」と大きく書き、「ここに行ったことのある方は手を上げて下さい」と尋ねている。一般的に、中小企業経営者の集まりの場合、3〜5%程度である。私は「大丈夫ですか。いまどき東莞の空気も吸わずによく経営ができていますね」と脅かしている。この言葉一つで、昨今のセミナー会場には緊張感がみなぎっていく。
 東莞の現場を訪問した経営者と語り合うと、「世界で一番優秀な労働力。上海あたりとは全く違う」「あの集中力には参った」「ウチはどうすればいいのか」などの言葉が出てくる。また、不思議なことに、東莞の「現場」から帰ってきた経営者で、元気を失っている方はまずいない。空元気かもしれないが、一様に興奮して語り続けるのである1)
 その姿を冷静に観察している私は「日本の経営者もようやく『現実』を理解し始めたな」「これからようやく新たな動きが始まる」と期待している。

東莞市
東莞市の紹介


日本だけが輸出する時代ではない

 この10年の中国の苛烈な経済発展を見ようとしなかった日本の多くの方も、この流れがしばらくは続くと実感し始めた。WTOに中国が加盟した現在、現在の枠組みのままでは、安くて品質の良い中国製品が日本に大量流入してくることは避けられない。

 この点は、日本の自動車産業の歩みが象徴的である。内需が600万台強の92年の頃に、日本のメーカーは国内で1,400万台も生産していた。大半をアメリカに輸出していた。だが、今後は内需に少しプラスした程度を国産し、一部を輸出、さらに一部を輸入するという時代になる。日本だけが巨大な生産力を形成し、輸出で稼ぐという時代ではない。

 少し前の時代には、工業製品を生産し外国にまで売ろうという国は、日本に加え欧米の幾つかの国しか無かった。だが、現状はどうか。アジアの諸国、中国が大きく登場してきた。この新たな枠組みの中では、日本の生産力は大き過ぎる。この生産能力の調整が現在進められている。家電、OA機器などのアジア、中国移管は現在も進んでおり、次には自動車が同様の動きを進めていくことが予想される。この変化が急激に起こっているため、特に量産工場を抱えていた日本の地方圏は深刻な状況に直面しているのである2)


新たな若い「発想」が必要

 昨今、国から地方に至るまで、「新産業ビジョン」の形成が進められている。いずれの「ビジョン」を見ても、新産業の創造、新規創業の促進、人材育成などがうたわれている。この十数年、何の変わりもない。地名が違うだけである。こうした仕事に携わってきた身からすると、まことに残念ながら、次の時代をイメージできず、言葉も出ない。これからは、全く世代の異なる若い人たちでこれまでとは違った角度から切り取っていくべきだろう。だが、そういう人たちもまだ登場していない。世代の若返りが図られていない。

 日本の大きな訪中団に同行すると、団長は70歳代中頃の大企業の会長、団員の大半は60歳以上の社長連、一人ぐらい学識経験者が必要として起用された私が圧倒的に若く54歳である。北京の中央政府との会見ではそれほど違和感はないが、地方の省や市政府を訪問すると愕然とする。相手方には私より年配の幹部は一人もいない。先日の蘇州市では市長は40歳であった。また、昨夏、南京のセミナー「中国企業の日本市場への進出」の際には、100人ほど集まった地元経営者で40歳以上は一人も見えなかった。

 日本は約130年前には30歳前後の人が維新を実行し、第二次大戦後は40歳前後の人びとが戦後復興をなし遂げた。だが、この五十数年、そのまま持ち上がり、若返りが図られていない。成功体験の大きすぎる人びとは、新たな環境条件の下で効果的な対応をとることは難しい。この激動の時代こそ、大きな世代交代が求められているのである。


「アジア、中国」「少子高齢化」「IT」「環境」

 80年代中頃までのわが国を取り巻く基本的な構造条件は、対外的には、対米依存、アメリカの傘の下ということにあり、わが国企業はベクトルをアメリカに向けていればよかった。だが、現在はどうか。かつては無視していたアジア、中国との関係が大きな意味を持ち始めている。アジア、中国との新たな枠組みの中の日本が問われている。

 また、以前の日本の国内条件の基本は、日本人はまだ若くてやや貧しいというものであった。だが、現在では全く逆になり、高齢で住宅以外は豊かというものに変わってきた。それに、IT化は基本であり、さらに地球環境問題への深い配慮も必要となる。明らかに、現在以降、私たちは「アジア、中国」「少子高齢化」「IT」「環境」という大きく四つの項目が複雑に絡み合う「連立方程式」を解くことを求められている。

 問題は、こうした課題に対して、私たちが挑戦的になれるかであろう。アメリカだけを見て、若いから頑張れるという枠組みではないのである。

 以上のような枠組みに対して、中小企業や地域産業はどうすればよいのか。一つ言えることは世界に先行するケースは無く、自分たちの頭で考え、自ら実行していくしかない。


グローバルとローカル

 「アジア、中国」という要素に対しては、日本に閉じこもったままでは展望が開けない。かつてのアジア大会の時代には、日本のやり方が通用していた。だが、現在のアジアはオリンピック大会なのである。日本が閉じこもっていても、欧米が参入し、アジア、中国は否応なく活発になる。

 むしろ、私たちはアジア、中国と共通するもの(特に、技術基盤)を幅広く持ち合うことが必要に思う。さらに、企業や若者たちがアジア、中国の現場に飛び込み、また、アジア、中国の企業や若者が大量に日本にやってこられる環境を形成することが求められている。異質なものが身近で交じり合わない限り、現状の閉塞感から抜け出すことは難しい。

 また、「少子高齢化」という文脈の中では、どのようなことが課題となろうか。私は、むしろ、「少子高齢化」にわが国の活路があると思っている。振り返るまでもなく、戦後の高度成長期を通じて、わが国は必死に輸出産業に取り組んできた。だが、その間、若くて貧しかった私たちは、自分たちの身の回りの豊かさは将来に委ねていたのではないか。

 そのため、私たちの身の回り、例えば、都市づくり、住宅、家庭生活の多くの側面で相当の我慢を強いられてきた。むしろ、かなりのレベルの経済力を身につけてきた私たちは、身の回りを豊かにすることに視線を向けていくべきであろう。それは街づくり、地域づくりであり、暮らすこと全体に関わってくる。環境、福祉などは最大の課題となろう。特に、高齢社会になると、人びとの大半は「人の姿のみえる地域」で暮らすことになる。片道1時間半も通勤するなどは非人間的なものとして拒否されていくことは間違いない。

 その将来のイメージはどのようなものか。おそらく、元気な高齢者の方々が自分の地域を豊かにしていくために力を注ぐということになろう。日本の高齢社会の一つの課題は、第二の人生を送られる元気な高齢者の方々が、自分の地域に目を向け、その地域を良くするために一歩踏み込み、「自分で自分を養う」ということであろう。私たちはそこに新たな時代の産業化の可能性をみていくべきではないか。これは全くの内需であり、地域に住まう人びと自身が取り組むべき事業ということになろう3)


若者と元気な高齢者に期待を

 おそらく、21世紀の早い時期から、「アジア、中国」というグローバルな問題と、「少子高齢化」というローカルな問題が同時的に発生してくる。成熟しつつある先進国の日本としては、この二つの未曾有の問題をチャンスと受け止められるかが問われよう。その場合、最大のポイントは「人材」ということになろう。そして、「若者」と「元気な高齢者」がその最大の焦点となることは間違いない。

 長年、教育の現場と中国の現場を見続けてきた身からすると、激しい「思い」を抱くことのなくなってきた若者たちを勇気づけるためには、中国の激しい「現場」を経験させるしかないと痛感している4)。中国の「現場」でインターンなどを経験した若者は、急に目覚め極めて積極的になっていく。若者に高い「志」や「社会的使命感」を抱かせるにはこれしかないのである。そして、目覚めた若者たちは大きく二つの方向に向いていく。

 一つは、アジア、中国のダイナミズムに魅かれ、アジア、中国で仕事をしようとする場合であり、もう一つは、自分の故郷の停滞ぶりに激怒し、「故郷を良くするために帰郷します」という場合である。いずれにおいても生きる目的を見いだし、かれらは有益な人材として次の日本を作っていくことが期待される。

 元気な高齢者に関しては、第二の人生に自分の生き甲斐を見いだせるかという点が焦点になる。この点も、先のグローバルとローカルのいずれにも可能性がある。一つはシルバーボランティアとして、途上国の建設に参加することであろう。そうした自分の経験を活かそうという高齢者が急速に増えている。ぜひ、一歩を踏み出していって欲しい。もう一つは、先に指摘したように、「人の姿のみえる地域」に帰還し、地域を良くするために残されたエネルギーを投入していくということであろう。


 以上のように、若者にとっても、元気な高齢者にとっても、新たな時代には、これまでと違ったやるべきことが大量に存在している。問題はそうした意識を持てるかどうか、そして、具体的に踏み込んでいけるかどうかであろう。その点、世界で最も「熱気」にあふれている「現場」に身を置き、社会のあり方に自分がどのようにコミットしていくべきかを深く考えていくことがポイントとなろう。中国の発展は、まさに「日本の鏡」なのである。新しい世紀は、中国を鏡として、私たち日本人が未曾有の新しい社会を作っていくということである。そうした興味深い時代を見届けられる私たちは、実に幸運と言わねばならないのである。

1)東莞の状況に関しては、関満博『世界の工場/中国華南と日本企業』新評論、2002年、を参照されたい。
2)当面する地方圏の問題は、閲満博『空洞化を超えて』日本経済新聞社、1997年、同『新「モノづくり」企業が日本を変える』講談社、1999年、同『地域産業の未来』有斐閣、2001年、を参照されたい。
3)こうした問題に対しての取り組みは、東京の三鷹市で行われている。詳細は、開満博『小さな会社のIT活用法』PHP研究所、2001年、を参照されたい。
4)こうした問題は、関満博『現場主義の知的生産法』ちくま新書、2002年、を参照されたい。


とやま経済月報
平成15年1月号