特集


通勤でみた北陸の市町村の関係とその変化
―国勢調査・従業地集計より―
富山大学経済学部 教授 松井隆幸

1.はじめに

 毎日の暮らしの中での他の市町村との結びつきは、どのようなところに表れるでしょうか。旅行や買い物で訪れることもあれば、そこに住む人と電話やメールで連絡をとることもあります。その中で最も日常的で、生活への影響も大きいのが通勤ではないでしょうか。地域経済の変化においても、ある市町村での雇用の変化が通勤圏(そこに多数の通勤者を出している市町村)の人口や消費に与える影響はとても重要です。ここでは富山県の市町村が通勤からみて互いにどのように結びついているか、そしてそれがどのように変化してきたかを、お隣りの石川県と比較しつつ分析していきます。
 以下では通勤圏の分析から始めます。ここである市町村に住む就業者(そこに住んでいて職に就いている人)のうち、5%以上が特定の都市、例えば富山市に通勤しているとき、そこを富山市の通勤率5%の通勤圏と呼ぶことにします。まず5%の通勤圏についてみたあと、さらに結びつきの強さを表わす(把握する、調べる等ではどうでしょうか)ために、通勤率10%以上、20%以上の通勤圏についてもみてみます。そして通勤状況がどのように変化してきたのかも分析してみます。なおここでは通勤圏を「確定する」ことが目的ではないので、複数の都市に5%以上の就業者を送り出している地域も、無理やりどちらかの通勤圏に振り分けずに両方の通勤圏として表示します。資料はすべて国勢調査報告書をもとに作成したものです。


2.富山県の場合

 まず県都の富山市の通勤圏をみてみましょう(図2−1)。

図2-1 富山市の通勤圏(2000年)
図2-1

 これをみると、境界を接するほとんどの市町村が、20%以上の就業者を富山市に送り出しています。なお市町村境界で塗り分けているので県南部一帯が濃く塗りつぶされていますが、もちろん立山山麓から多数の通勤者がある訳ではなく、立山町や大山町の富山市近郊地域からの通勤を表わしています。通勤率5%の通勤圏まで入れると、人口第2位都市の高岡市や新川地区にまで富山市通勤圏が広がっています。
 次に高岡市を見てみましょう(図2-2)。

図2-2 高岡市の通勤圏(2000年)
図2-2

 人口第3位都市である氷見市を含めた県北西部が、高岡市の通勤圏であることがわかります。これ以外である程度の大きさの通勤圏を持っているのが魚津市(図2-3)、黒部市(図2-4)、そして後ほど別途とりあげる砺波市です。魚津市と黒部市の通勤圏をみてみましょう。

図2-3 魚津市の通勤圏(2000年)
図2-3

図2-4 黒部市の通勤圏(2000年)
図2-4

 この両市の通勤圏はかなり重複しており、相互に多数の就業者が通勤していることから、魚津・黒部両市を合わせて県東北部の雇用の中心と見たほうがいいのかも知れません。

 さて、このような市町村間の通勤はどのように変化してきたのでしょうか。表2―1は自分の住んでいる市町村内で働いている就業者の割合を、富山・石川に福井県も加えて1980年、1990年、2000年の3時点で比較したものです。

表2−1 自市町村内就業者の割合(単位:%)

富山県
石川県
福井県
1980年
77.8
83.9
82.6
1990年
72.4
78.2
77.7
2000年
66.9
72.8
72.8

 これをみると第一に、富山県では他の2県に比べて住んでいる市町村の外に通勤する人の割合が高いことがわかります。この点は石川県を分析後に改めて触れることにします。第二にどの県も近年になるに従って、市町村を越えた通勤が増大していることがわかります。
 では、通勤状況の変化は市町村によって違いがあるのでしょうか。ここではまず就従比率という指標について調べてみます。

就従比率= ある市町村で働く従業者数 ×100
ある市町村に居住する就業者数

 上の式の分子はその市町村で働いている人の数で、他から通勤して来ている人を含みます。そして分母はそこに住んでいる就業者の数で、他の市町村へ通勤している人を含みます。この値が100を超えているということは、他の市町村への通勤流出よりも、他の市町村からの通勤流入が上回ることを示します。表2―2は富山県の各都市に人口増加著しい婦中町を加えて、就従比率の変化をみたものです。

表2−2 富山県の都市及び婦中町の就従比率の変化(単位:%)

1980年
1990年
2000年
富山市
120
120
119
高岡市
117
111
105
新湊市
101
105
111
魚津市
100
99
99
氷見市
71
72
74
滑川市
83
87
83
黒部市
119
118
116
礪波市
88
93
101
小矢部市
92
88
94
婦中町
77
80
88

 富山市の就従比率には目立った変化がありませんが、これは富山市で働く従業者と富山市に住む就業者がともに増加(1980年〜2000年でそれぞれ13.3%、14.9%の増加)した結果です。つまり通勤の流入と流出がともに拡大して相殺しあった訳です。これに対し高岡市は、相対的に雇用吸収力を低下させてきているのがわかります。また新湊市の数値の上昇は従業者の増加(同じ期間で1.6%増加)によるというよりも、市に住む就業者の減少(同じ期間で7.5%の減少)を反映しています。
 注目すべきは砺波市と婦中町で、それぞれ高岡市通勤圏・富山市通勤圏としての性格を残しつつも自らの雇用吸収率を高め(同じ期間で従業者数が砺波市は26.7%、婦中町は50.4%の増加)、急速に就従比率を上昇させています。

 それでは通勤圏はどう変化しているのでしょうか。富山県で通勤圏に目立った変化がみられるのは富山市と砺波市です。下に1980年の富山市通勤圏を示しますので(図2-5)、2000年のもの(図2-1)と比べてください。新川地域や射水郡、高岡市から富山市への通勤の拡大がみて取れると思います。

図2-5 富山市の通勤圏(1980年)
図2-5

 さて、通勤圏の拡大にもかかわらず、富山市の就従比率に変化が少ないのはなぜでしょう。それは従来から富山市へ多数の通勤者を送り出してきた近郊の人口増加地域が雇用吸収力を拡大し、それらの地域への富山市「から」の通勤者が急増しているためです(表2−3)。

表2−3 富山市からの通勤者数の変化(単位:人)

婦中町へ
八尾町へ
小杉町へ
1980年
967
262
613
1990年
1,962
712
1,175
2000年
3,676
1,315
1,761

 次に砺波市の通勤圏の変化をみましょう。砺波市の場合は10年きざみでみても変化が明確です(図2-6、7、8)。


図2-6 砺波市の通勤圏(1980年)
図2-6

図2-7 砺波市の通勤圏(1990年)
図2-7

図2-8 砺波市の通勤圏(2000年)
図2-8

 砺波市近郊の城端・庄川・井波・福野各町と井口村についてみると、4町1村の合計で高岡市への通勤が1980年の1、321人から2000年が1、338人とほとんど変化がないのに対し、砺波市への通勤は1、315人から2、581人と2倍近くに増加しています。



3.石川県の場合

 石川県についても、県都の金沢市の通勤圏からみてみましょう(図3-1)。

図3-1 金沢市の通勤圏(2000年)
図3-1

 これをみると、金沢市が県中央部の広い地域を通勤圏にしているのがわかります。5%通勤圏には人口第2位の小松市が含まれますし、人口が急増している松任市や野々市町は通勤率20%以上の通勤圏に含まれます。この中には内灘町のように、町内部で働く就業者よりも金沢市への通勤者の方がはるかに多い地域もあります。

図3-2 小松市の通勤圏(2000年)
図3-2

 次に小松市をみてみましょう(図3-2)。小松市は雇用吸収力の高い工業都市ですが、金沢市や松任市と競合しているせいか、それほど広大な通勤圏は持っていません。特徴的な通勤圏を持つのが、次に見る七尾市です。

図3-3 七尾市の通勤圏
図3-3

 ごらんのように、七尾市は能登地域中央部に限って、範囲は狭いけれども通勤率の高い通勤圏を持っています。これは加賀地域内部に比べて能登地域から金沢市方面への交通アクセスが相対的に弱く、通勤圏が分断されているためではないかと考えられます。さらにアクセスの弱い奥能登地域では、自市町村内での就業の割合がきわめて高くなっています。とりわけ大きな変化を見せている松任市については後に別途分析します。
 さて、石川県についても就従比率の変化を、各都市と人口が急増している野々市町について示します。

表3−1 石川県の都市及び野々市町の就従比率(単位:%)

1980年
1990年
2000年
金沢市
113
114
115
七尾市
113
114
116
小松市
102
102
99
輪島市
100
100
100
珠洲市
99
99
100
加賀市
99
98
97
羽咋市
97
96
94
松任市
90
94
99
野々市町
92
87
89
※算出方法は表2-2に同じ

 やはりここでも注意すべきは、この指標はあくまで通勤の流出入の差を反映するもので、雇用の増減そのものを表わしてないことです。例えばそこで働く従業者とそこに住む就業者がともに増加(1980年〜2000年でそれぞれ18.4%、16.4%の増加)している金沢市と、ともに減少(それぞれ4.0%、5.8%の減少)している七尾市が、結果的に上のようにきわめて類似した数値を示すこともあります。七尾市の雇用吸収力の低下が高岡市のように就従比率低下に結びつかないのは、前述した交通アクセスの弱さによる通勤圏の分断が背景にあると考えられます。
 就従比率の変化で目立つのは松任市です。松任市は一貫して金沢市に強く結びついた通勤圏(金沢市への通勤比率が1980年26.1%、1990年29.9%、2000年30.7%)である一方で、自らの雇用吸収力を拡大し(同市で働く従業者数は1980年〜2000年で74.2%の増加!)、就従比率を上昇させています。野々市町の就従比率が変化に乏しいのは、金沢市や松任市等への通勤の流出と流入が同時並行的に増えているからです。一例として松任市との関係を示します(表3−3)。

表3−3 松任市・野々市町相互の通勤状況(単位:人)

松任→野々市
野々市→松任
1980年
995
808
2000年
2,153
2,459

 通勤圏に明確な変化がみられるのは金沢市と松任市です。1980年の金沢市の通勤圏を示しますので(図3−4)、2000年のもの(図3−1)と比較してください。

図3−4 金沢市の通勤圏(1980年)
図3−4

 目立った変化としては、2000年には人口第2位都市の小松市が通勤圏に入ってくることが挙げられます。しかし雇用増加の大きさの割には、富山市の通勤圏ほどの変化は起きていません。これはやはり交通アクセスの弱さから、能登方面への通勤圏拡大が限定されているためだと思われます。
 次に松任市の通勤圏の変化をみてみましょう。

図3−5 松任市の通勤圏(1980年)
図3−5

図3−6 松任市の通勤圏(1990年)
図3−6

図3−7 松任市の通勤圏(2000年)
図3−7

 松任市の場合、10年きざみでみても、通勤圏の拡大は明らかです。しかも金沢市や小松市と競合する地域から雇用を吸収している点は注目すべきです。図には表れませんが、金沢市から松任市への通勤者も、1980年の3,224人から2000年には7,827人と2倍以上の拡大をみせています。

4.おわりに

 もう一度図2−1と図2−2をみてください。富山県の場合、富山市と高岡市の通勤圏をあわせると、きわめて広範な地域をカヴァーしているのがわかります。つまり交通アクセスに恵まれた、通勤に便利な県ということがいえます。このことは、県面積が同程度で市町村数では上回る石川県と比べても、他市町村への通勤者の割合が高い(表2−1)という結果にも表れています。
 このため各地域の雇用や人口の動きは他地域の雇用変化の影響を受けやすく、通勤圏や通勤状況のダイナミックな変化を伴っています。また北陸3県は、北陸本線・北陸自動車道沿線に限れば県を越える交通アクセスにも優れているだけに、今後は県境を越えた通勤も拡大し、相互の影響が無視できなくなってくると考えられます。
 ここでは残念ながら雇用の変動を牽引した産業や、通勤に用いる交通手段までは話が及びませんでしたが、別の機会があれば分析してみたいと思います。

※小杉町を例にとると、富山市通勤圏として通勤者の「扶養家族」を含めて人口が増え、店がたくさんできてそれがまた雇用機会を提供する。あるいは、主婦やバイト学生を含めた小杉町の労働力を目当てに事業所が増える。

とやま経済月報
平成14年6月号