最近の金融情勢
―不良債権問題は国民全体の課題―
日本銀行富山事務所長 大場輝喜
新年明けましておめでとうございます。
近年にない激動期を迎えている金融情勢に関して、私見を述べてみたいと存じます。
やや中期的に振り返ると、21世紀の初年次であった昨年1年間は、それより以前10年間の1990年代において徐々に顕現化した様々な構造問題を、そのまま抱え続けたままで経過してしまった、といっていいかも知れません。構造問題とは何かについては、論者によって様々に定義されます。例えば、景気浮揚策を採ろうにも制約があり過ぎる財政赤字の問題だとする説、あるいは、雇用調整に代表される企業のリストラ問題だとする説、あるいは、情報革命いわゆるIT化への遅れという問題だとする説などがあげられます。どれもそれぞれの観点からすればそのとおりでしょう。ここでは、経済活動にとって必要なマネー供給がされても民間金融機関より先にそれが流れていかないという「金融システムにおける構造問題」に焦点を当ててお話をしていくことにしたいと存じます。
何が起こっているのか〜信用創造機能の停止
経済活動の背後に流れるマネーは、需要に応じて、日本銀行から民間金融機関を通じて民間企業や家計に供給されますが、最初の段階である日銀から金融機関への供給はなされても、そこから民間企業や家計への供給が途絶えている状況が続いています。具体的には、日銀による積極的な資金供給を受けて、過去5年の間に、民間金融機関が保有する日銀当座預金──金融機関の信用創造に働き掛けるという点で重要です──は、年率約12%強で増加しました。また、日銀当座預金に銀行券発行額を足し合わせたマネタリーベースも、年率約8%の高い伸びとなりました。日銀からのこのような潤沢な資金供給にもかかわらず、民間金融機関から民間企業や家計向けの貸出は年率マイナス0%台の減少となり、企業活動や家計消費の原資となるマネーサプライも年率約3%強の伸びに止まりました。マネーサプライに比べて貸出の伸びが低いということは、民間金融機関サイドからみれば、貸出以外の資産である国債などが増えたことを意味します。
つまり、日銀から金融市場への資金供給を増やしても、民間金融機関は信用リスクのない国債へ投資を増やし、民間企業や家計への貸出を抑えたこととなり、民間金融機関によるいわゆる信用創造活動が活発に行われなかったことを意味します。その結果、実体経済活動も活発ではあり得ず、名目GDP成長率が年率約1%弱、消費者物価上昇率も年率0%台と、ほとんど横ばいの動きに止まった状況にあります。
いわば強力な金融緩和にもかかわらず、経済活動が活発化していない理由については、後程触れることとしますが、物価が横ばいないし下落を続け景気が低迷しているのは、金融緩和の程度が足りないためか、という点に触れておきます。例えば、「物価の変動は貨幣的な現象であり、通貨の発行量を増やせば物価下落は止められる」といった、素朴な考え方があります。この点、マネーすなわち通貨量が大きく変動した場合、長期的な経済の動きとの間に相関関係があることに関しては異論を唱えるべきものではありませんし、実際、日銀を含め、多くの中央銀行の金融政策の目的が「物価の安定」とされているのも、そうした考え方に立脚しています。しかし、十分長い期間をとった場合に妥当する、言わば一種の定義的な関係、あるいは恒等的な関係を、1年から数年という比較的短い期間について適用しようとすることには、無理があるように思います。
現に、日銀による流動性(日銀当座預金、あるいはそれを含むマネタリー・ベース)の供給が、広義のマネーサプライつまり民間企業や家計における流動性の増加をもたらし、ひいては物価や景気を押し上げるメカニズムが、現在十分に作用しているかというと、上述したように、否定せざるを得ません。いうまでもないことですが、金融政策は決して空からマネーをばら撒く──経済学の教科書でヘリコプター・マネーという言葉で呼ばれる──ような政策ではありません。仮にそのような政策が採られる場合には、人々が手にしたばかりの通貨をもって我勝ちに財・サービスの購入に走るでしょうから、物価は直ちに上昇するでしょう。しかし、現実の金融政策は、金融機関などから国債等の資産を購入し、その対価として日銀当座預金という狭義のマネーを創出し、さらに金融機関が貸出や証券投資を行うという一連の取引を通じて広義のマネーサプライを供給するものです。ところが、現在わが国で起きていることは、金融市場では資金が溢れているにもかかわらず、それが金融システムの外側にいる民間企業や家計にまで浸透せず、マネーサプライはあまり増えない、またそのことが経済全体として支出も増加せず、物価も上昇していかないことと因となり果となっているということです。マネーを増やすメカニズムがうまく働かない時に、マネーさえ増やせば全て解決するというような議論は、現実から遊離した議論のように思います。
どうしてそうなのか〜民間金融機関の機能を損ねる不良債権問題
それでは、日銀から金融市場への資金供給を増やしても、民間金融機関が民間企業や家計への貸出を抑えた結果、信用創造活動が活発に行われていないのは、どうしてなのでしょう。
結局、実体経済にお金が回らないのは、民間金融機関の貸出機能が不良債権のために十分に発揮されていないこと、また、民間企業サイドからみれば、不況のため企業の資金需要が極めて弱いうえに、過剰債務の圧縮といった財務リストラの動きが続いていることが原因です。民間金融機関では、ある部門に対する貸出債権が不良化することによって、その処理に追われ、あるいはさらなる発生を気遣うあまり、相対的には健全な部門に対しても貸出姿勢を慎重化させる行動が続いているということです。
こうした不良債権はどういう経緯で生まれ、今日に至るまでどのように推移してきたのでしょうか。簡単に振り返ってみると、不良債権自体は、企業の栄枯盛衰に伴い、いつの時代でも発生していますが、右肩上がりの経済成長の下では、一部の大型倒産を除けばそれほど多い金額ではありませんでした。それが、現在のように多額に上った原因としては、バブル景気の崩壊とその後の長引く景気低迷の影響があげられます。バブル経済崩壊後の1992〜1993年(平成4〜5年)頃から、不良債権の積み上がりが問題とされはじめ、1995年(平成7年) には住専(住宅金融専門会社)向け不良債権処理のため、初めて公的資金(つまり税金)6,850億円が使われたことは記憶にも残っていることと思います。
その後、さらに多額の公的資金が投入されたほか、民間金融機関では、このところ年間利益にほぼ匹敵する規模の不良債権処理を実施してきました(図表1)。しかし、経済構造調整圧力の強まりや不動産や株式などの資産価格の下落等を背景に、なお新たな不良債権の発生が続いています(図表2)。逆に、不良債権が経済の成長に悪影響を及ぼしている面もみられます。
図表1 不良債権処理額とコア業務純益の推移 (注)図中の計数は、全国銀行の不良債権処理額(貸出金償却・引当等。( )内は地銀・地銀II)。
都長信とは都市銀行、長期信用銀行、信託銀行をさす。 地銀・地銀IIとは全国地方銀行協会加盟行、全国第二地方銀行協会加盟行をさす。 コア業務純益とは業務純益から一般貸倒引当金純繰入、債権勘定尻等を調整したものをいう。 (注は編集者の責任)
図表2 不良債権(金融再生法開示債権)の推移
(兆円、( )内は、12/3月末比増減額)
金融再生法開示債権(13/3月末)
破産更生等債権
危険債権
要管理債権
全国銀行
33.0 (+1.2)
7.6 (▲0.2)
14.7 (▲1.5)
10.6 (+2.8)
地銀・地銀II
13.6 (+2.2)
4.0 (+0.3)
5.9 (+0.5)
3.8 (+1.5)
都長信
19.3 (▲1.0)
3.7 (▲0.4)
8.9 (▲2.0)
6.8 (+1.4)
(注) 前年と比較が可能な、日債銀(現あおぞら)を除くベース。
何が問題といえるのか〜不良債権問題の経済活動に及ぼす影響
こうした多額の不良債権が残り、信用創造機能が十分には機能しない状況の下では、以下の理由から、経済が持続的に成長することは期待できません。第1に、そのような場合、民間金融機関は株価の下落や景気の後退に伴う不良債権の発生等、何らかの外部要因から、自己資本が毀損する危険に直面しています。自己資本はこれまでの経営努力により積み上げてきた利益から構成されており、予期せざるリスクや損失に対する最後の拠り所ですから、資本ポジションに不安を感じざるを得ない状態にあっては、積極的にリスクをとっていこうという経営姿勢は生まれにくくなります。
第2に、不良債権の処理が完全に終わらない状況の下では、リスクとリターンの関係からみて合理的な水準への貸出金利の調整がなかなか進みません。現在、民間金融機関の貸出姿勢をみると、優良先に対しては貸出競争が起こり、信用スプレッド(貸し倒れなどの信用リスクに見合った利幅)は非常に低下する一方、信用度に不安のある企業への新規貸出については、慎重な姿勢で臨んでいます。また、信用度の低い既存先への貸出については、十分な信用スプレッドの引上げができていません(図表3)。現在の局面においては、民間金融機関が思い切った信用スプレッドの引上げを行えば、相手企業の倒産も予想され、またその結果は、民間金融機関自身にも跳ね返ってきます。しかし、長期的な観点からは、貸出金利が経済の合理性を反映する形で設定されるようにならない限り、民間金融機関の積極的な貸出姿勢は期待できず、結果として、持続的な経済成長の達成は難しくなります。
図表3 邦銀の貸出利鞘の推移 1.貸出利鞘=貸出利回り(国内)−資金調達利率(国内<スワップ支払利息控除後>)
2.業務部門別の経費率は利用可能ではないため、国内業務部門の経費率(経費/資金運用平残)で代用。
3.実現信用コスト=不良債権処理額/貸出金平残
何が必要なのか〜不良債権の処理はいわば国民的な課題
このように多方面に渡り経済に影響を及ぼす不良債権問題は、何とかして解決を図らなければなりません。確かに不良債権問題は、それを抱えている民間金融機関に第一次的な責任があります。ただ、その裏側には民間金融機関に対して、約束どおり借入金の元本や利息を返済できない民間企業や個人がたくさんいるということにほかなりません。繰り返しになりますが、民間金融機関ではこれらの処理に追われるため、本来持っている、預金者から預金を集めて企業活動や個人向けに必要な資金を貸出すという信用創造機能が十分発揮されていない状態にあります。従って、これはひとり民間金融機関だけの問題ではなく、国民全体が自分たちの暮らしに密接に関わる問題という意識を持つことが必要なのではないでしょうか。その処理に関しても、国民が十分関心を持って動静を見届けることが求められるということではないでしょうか。
不良債権の処理とは、まず第1に、不良債権の予備軍を含めて不良債権の金額をきちんと確定する──これを資産査定といいます──、その上で、回収不能に備えてきちんとした貸倒引当金を積む、そして第2に、経営難から破綻する懸念のある先の債権についてはそれを民間金融機関のバランスシートから切り離して早期にけじめをつけるということです。また、不良債権処理のもう一つの側面は、企業の過剰債務の解消ということがあります。これなしには前向きの企業活動が出てくることは期待できません。もちろん、政策面では、公的金融機関の在り方も議論を深めていく必要があります。
こうした不良債権の最終処理を推し進めるため、政府の経済財政諮問会議(議長・小泉首相)では、構造改革の手順を示す「改革工程表」と、その中で優先的に取組む「改革先行プログラム」をまとめ、公表しました。焦点の不良債権の処理については、一言でいいますと、資産査定を厳しく行うとともに、これまでも不良債権処理の役割を担ってきた公的な機関である整理回収機構(RCC)の機能を強化して、3年後には不良債権問題を正常化することとしています。RCCの活用の中には、前向きな機能を発揮するため、日本政策投資銀行(旧日本開発銀行)、民間投資家などとの共同出資で、企業再建ファンド(基金)を設け、企業の株式を買取るなどにより企業再建に積極的に取組む項目も盛り込まれています。また、RCCに移管された企業の再建のため、日本政策投資銀行が運転資金を融資することになっています。
「改革先行プログラム」に沿った改革が行われれば、不良債権処理が進むにつれ経営不振企業の選別を促すことになる結果、短期的には失業者の大量発生、最悪の場合には経営危機に立たされる民間企業が出る可能性があります。そのほか、民間金融機関もこれまで以上に貸倒引当金に多額の引当てを積むことを迫られたり、不良債権処理による損失拡大から業績悪化に陥る先が一部に出る可能性も否定できません。
このように、民間企業、民間金融機関ともに厳しい事態が想定されますが、処理が進まないことにより市場の信頼の回復が遅れ、民間企業や個人等経済主体のマインド面へさらなる悪影響が出ることにむしろ注意を払うべきなのです。日本の経済、金融システムを再生し、内外の多くの人達からの信認を得るためには、もうこれ以上の問題の先送りは許されないところまできています。
本稿の冒頭、昨年は21世紀の初年次に当ったという言い方をしましたが、ある新聞のコラムによると、新千年紀を意味あるものと位置付けているのは、西洋暦を使っている文化の国の人々に限られ、全世界に視野を広げると、昨年は節目でも何でもない年だそうです。一番古くまで遡るユダヤ暦では、天地創造が元年で今年は5762年、次に古い仏暦では、ブッタの死が起源とされ今年は2544年、馴染みが薄いが、エチオピア暦では、西暦と若干ずれて今年は1994年、最も新しいイスラム暦では、預言者ムハンマドの聖遷が元年で今年は1422年、とのことです。いずれも現在も生きている暦とされています。こうした視点からみると、千年紀云々という節目に拘ることなく、今から、いよいよ本腰を入れて、改革から生ずる痛み──企業業績の悪化、短期的な失業者の発生など──は新しく生まれ変わり元気に活動するために必要なコストとして分かち合い、国民全体で力を合わせて乗り切っていくしかないように思います。