小泉構造改革の衝撃と地方の覚悟
日本経済新聞論説委員  松本 克夫

1.自民党政治の転換

小泉首相がしばしば持ち出す長岡藩の「米百俵」の故事は、富山県を含め地方にとっては他人事ではない。将来に備えて、現在の痛みに耐えなければならないのは地方である。

 自民党総裁選で圧倒的な支持を得た小泉首相だが、中央に吸い上げた税金を補助金や公共事業の形で地方にばらまく自民党政治の破壊者として登場した感がある。地方の財政的な自立は許されなかった代わり、陳情に気前よく応えてくれる自民党政治は、地方にとっては面倒見のいい親父のようなものだった。しかし、バブル経済崩壊以降、この政治スタイルは行き詰まる。国・地方合わせて666兆円の長期累積債務はその付けである。

 小泉内閣の聖域なき構造改革は、地方に対して甘い父親から、甘えを許さない渋い父親への転換を意味する。地方はかつてない激しい痛みを覚悟しなければならない。

 構造改革の方向は民間人を含めた経済財政諮問会議が6月にまとめた基本方針で示された。予想通り地方にとっては厳しい内容である。国と地方がもたれ合う仕組みを改め、「自助と自律の精神」を発揮させ、「個性ある地方の競争」を促すことが基本である。 そのために、国が地方に要請する仕事の見直しに応じて、国庫補助負担金や地方交付税を縮小する。特に地方交付税については、地方債の償還まで面倒を見る仕組みや小規模自治体優遇の段階補正を見直す。 道路特定財源の見直しを含む公共事業の縮小も地方への影響は大きい。社会資本整備の重点7分野の中には、「循環型経済社会の構築」など農村に関係する分野もあるものの、どちらかと言えば「都市の再生」など大都市重点と見られる分野に傾斜している。昨年の衆議院総選挙で都市部で大敗して以降、農村型政党からの脱皮を迫られた自民党だが、都市への傾斜を代表しているのが小泉首相である。 7月初めに6年間の任期切れとなった地方分権推進委員会(諸井虔委員長)は最終報告の中で、国から地方への税源移譲を提言した。しかし、同諮問会議の基本方針では、「税源移譲を含め国と地方の税源配分について根本から見直す」としているだけで、明確な態度を示していない。地方に回す交付税や補助金、それに公共事業は縮小する。税源移譲は当面はない。となったら、地方財政は相当縮小せざるを得ない。とりわけ段階補正見直しで優遇配分が縮小する小規模町村への打撃が大きそうだ。 「基本方針」には「すみやかな市町村の再編」も盛り込まれている。痛みに耐えられない小さい市町村は急いで合併に取り組めというメッセージである。 「基本方針」の具体化は来年度予算の概算要求基準づくりで始まった。新規の国債発行を30兆円以内に抑えるという公約を実現するため、旧来分野で5兆円削減し、7つの重点分野に2兆円割り振る。従来型の公共事業は1兆円削減の方針が示された。一般歳出の総額は2001年度当初予算に比べ約9000億円(1.8%)の減少となる。 これから年末にかけての焦点は地方交付税の取り扱いである。塩川財務相が早くから「1兆円削減」のアドバルーンを上げている。政府は国の公共事業削減に連動して、地方財政計画の規模を縮小し、交付税特別会計の新規借入れの圧縮を目指すことになろう。自治体は公共事業はもちろん、人件費などの経常的な経費の切り詰めを迫られるだろう。

2.抵抗の域を出ない地方団体

 小泉内閣の構造改革に対して、地方切り捨てと反発する声は各地で上がっている。地方団体の中で最も危機感を募らせているのは全国町村会である。7月初めには臨時の全国大会を開き、(1)地方交付税総額の安定的確保、(2)道路特定財源の確保、(3)市町村合併の強制反対、の三つの特別決議を採択した。全国市長会や全国知事会も、地方交付税や道路特定財源の維持確保を要望している。 しかし、これだけでは現状を維持せよと主張しているのと変わりはない。小泉内閣は聖域を設けずにメスを入れなければ財政は破綻すると訴えているのに、地方交付税や道路特定財源は聖域にしてくれというなら、既得権維持の「抵抗勢力」になってしまうだろう。地方から対案を示さなければならない。 目指すべき方向は地方分権推進委員会が提言したような税財源の分権の推進である。地方財政の総額の減少は認めるとしても、自由に使える財源の割合を増やすことである。景気対策で金をばらまけば財政危機が深まる。財政再建に専念すれば、不況が深刻化する。そのジレンマから抜け出ようとすれば、少ない財政支出で大きな効果を上げる方策を見出すしかない。地方に大いに自主性を発揮させることである。 分権委員会は国税の所得税を減税する分、地方税の個人住民税を増税する形の税源移譲案を示した。国税が減収になる分、補助金や地方交付税を削減することになる。しかし、税源移譲の規模をはじめ具体案は示していない。それを地方から提案しなければならない。 とは言っても、地方の足並みをそろえるのは難しい。都道府県、市町村とも、規模や財政力に違いがありすぎるからだ。国庫補助負担金を減らして一般財源化することではほぼ一致は得られる。しかし、一般財源として地方税を増やすのか、地方交付税に回すのか、で意見は真っ二つに割れる。日本経済新聞社が市町村を対象に実施したアンケート調査でも、規模の大きい市は地方税収の増加を望んでいるのに対し、収入源の乏しい小規模町村は地方交付税の増額がないなら税源移譲には反対という姿勢である。 税源移譲しなければ3割自治と言われる状態から脱け出せない。税源移譲すれば財政力の格差は広がる。都道府県にしても、税源移譲により東京都の税収が大幅に増え、他の道府県との格差が開きそうだ。合意形成は容易ではない。 自治体間の格差是正をどうするかがカギだが、地方交付税制度に代わる別の仕組みが必要かもしれない。自治体の財源不足分を埋める地方交付税制度は財政力の弱い自治体でも全国一律の行政サービスができるように保証する仕組みである。地方の不安を解消するセーフティーネット(安全網)の役割は大きい。しかし、自治体の歳入確保や行政効率化の自主努力を阻害していることも否定できない。しかも、交付税特別会計は法定の国税からの繰り入れでは賄い切れず、42兆円余りの借金を抱えて破綻寸前の有様だ。 市町村長の有志で構成する市町村主権フォーラム(代表・榛村純一掛川市長)は独自の財政調整制度案を提示している。地方交付税や補助金は全廃し、所得税と法人税は中央と地方の共同税とする。その一定割合を自治体間の財政調整に回す仕組みである。各自治体への配分は初年度は現状の財源不足分の充足を保証するが、その配分枠を5年間程度固定する。自治体が税収増加の自主努力をすれば丸々歳入が増える仕組みである。 これは一つの試案にすぎないし、研究者や法人会員で構成する政策構想フォーラム(代表世話人・大塚啓二郎政策研究大学院大学教授)は別の財政調整制度の提案をしている。分権委員会が発足する前、全国知事会などの六団体は独自の地方分権推進要綱をまとめ、分権改革をリードした。ここでまた税財源の制度改革をリードすべき時期に来ている。

3.「米百俵」の精神で

 長岡藩が米百俵の使い道として選んだのは教育だった。当座の飢えを満たすより百年の計を優先させたわけである。明治政府のたどった道を先取りしたとも言える。都道府県であれ、市町村であれ、今求められているのはこうした選択である。 明治の中央集権国家が成立して以来、地方は文明開化や高度成長の恩恵をこうむるために、目先の平等にこだわってきた。東京とは全く価値観の違う地域を目指すより、東京的豊かさを後追いすることに忙しかった。類例のない独自の教育の場をつくるより、東大に何人合格させたかに関心が集中してしまった。米百俵の精神は薄れ、志は著しく低下した。 しかし、グローバル化の大波に揺さぶられて、東京を頂点とした中央集権型システムは機能しなくなった。経済的豊かさこそ日本人の自信の源だったから、経済が長期の停滞期に入ると、たちまち自信を失ってしまった。地方の視点から日本の危機をながめれば、大量生産・消費・廃棄型の経済的豊かさとは異なる理想を追い求める地域をほとんど持たなかったことこそ危機である。全国画一化の弱さが露呈していると言ってもいい。 小泉内閣の構造改革によって、地方は行政の効率化や公共事業に依存しない地域経営を迫られている。それ自体、重い宿題だが、そこにとどまってはいられない。20世紀的、戦後的、東京的豊かさは色あせた。それに代わる豊かさを地域づくりの実例を通して示すことこそ地方の役割である。地方の多彩な試みを起点にするしか、日本が危機を脱する道はない。1つの実験より3,300の実験の方が可能性を秘めている。国と地方の関係の改革や税財源の分権はそのための環境整備にすぎない。 今、先進的な自治体で目立っているのは、戦後民主主義の中身を豊かにする試みである。行政が保有する情報を住民も共有する。選挙以外でも、計画づくりや事業の評価などに住民が参加する。重要な課題について住民が望めば住民投票にかける。公開、参加、評価などがキーワードである。要求・請負型の民主主義から参加・協働型の民主主義への転換である。民主主義の構造改革と言ってもいい。 それらは住民自治を実のあるものにするために欠かせない仕組みづくりである。問題はそこからどのような地域づくりの志が生まれてくるかである。政府は市町村合併推進に躍起だが、合併の是非も、どのような理想の下に地域づくりをするかを抜きに語れない。 欧州では、地方分権の進展を背景に、国に代わり地方が地域振興の主体になりつつある。グローバルな競争の中では国に頼らずに自ら知恵を絞らない地方は生き延びられないためである。中国が「世界の工場」の座を日本から奪い、農業でも日本を脅かしつつある今、日本も欧州と状況が似て来た。雇用や福祉を含め地方が独自の安全網を備えるしかない。 小泉内閣の構造改革は財政再建策の色合いが強い。ただ、それだけなら国と地方の痛みの共有で終わってしまう。大事なのは、「米百俵」のように、痛みに耐えた果てにどういう未来を描くかである。小泉改革を逆手に取り、20世紀的豊かさを超えた豊かさを創り出す起点にすること、それが地方の自立への道である。