「環日本海」は対岸だけか?
−富山県と「環日本海地域」−(その1)
富山商船高等専門学校国際流通学科 助手 岡本勝規

はじめに

 「環日本海時代」。この言葉が積極的に語られるようになって、既に随分久しくなりました。多くの方もご存じの通り、今ではこのかけ声の下、多くのプロジェクトが行われています。
 でも、そのような時、取り上げられる話題は、日本と対岸諸国(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国、ロシア連邦)との関係がほとんどです。ではひるがえって、われわれの足もと−−日本国内の、日本海側の地域はどうなのでしょう? はたして、日本海側地域どうしの関係は緊密なのでしょうか? そして、日本の日本海側地域は、対岸諸国から「対岸」と認識されるだけの地域として確立しているのでしょうか?
 ここでは、2つの疑問を簡単に検討してみたいと思います。ひとつは、「日本の日本海側地域がどの程度『地域』としてまとまりを持っているか?」ということ。もうひとつは、「日本の日本海側地域が、対岸諸国にとってどの程度の比重を持っているのか?」ということです。最初の疑問については、北陸地域を中心に、日本海側地域間の公共交通の利便性の変化を手がかりに検討していきます。次の疑問については、対岸諸国との貿易の規模を日本海側地域と太平洋側地域に分け、いろいろな視点から比較することで検討していきます。なお、日本の日本海側地域とは、青森県から島根県にかけての、日本海に面した地域とします。
 今回は、最初の疑問、「日本の日本海側地域がどの程度『地域』としてまとまりを持っているか?」ということを検討してみましょう。

日本海側地域間の公共交通の利便性の変化

 一口に利便性といっても、その意味するところは多々ありますが、ここでは公共交通機関の運行本数と直通の有無に着目します。取り上げるデータとしては、1984年1月のものと2001年3月のものをピックアップしてみました。1984年と言えば、まだ第三セクター化などによる地方公共交通網の再編が行われる直前の時期であり、比較的高度成長期以来の交通体系が残っている時期です。この交通体系がどのように変化したのか、鉄道、航空、高速バスの3つについて2001年のデータと比較してみると…。

 (1)鉄道
 図1と図2に、富山駅を中心とした日本海側地域間を結ぶ優等列車(特急及び急行のこと。以下、列車と呼びます)の運行状況を示しました。より大きな変化は、富山と直江津以遠を結ぶ運行本数に表れています。特に、富山と新潟を結ぶ運行本数が大幅に減少していることが目立つでしょう。富山と新潟以遠を結ぶ列車についても、元々少なかった運行本数が半減しています。富山〜直江津間については若干増加しているのですが、その半数が東京方面への連絡を担って北越急行線(ほくほく線)へ乗り入れてしまうため、日本海側の地域間を結ぶ役割からは外れているのです。東京方面への吸引力の強さが目立ち、そのぶん、日本海側の交通体系が直江津〜長岡間で貧弱になったと言えます。新潟以遠についてはさらに運行本数が減り、現在は夜行列車2本を残すのみです。富山と新潟以遠方面を結ぶ列車については、もはや存続が危ぶまれる段階に来ているといえるでしょう。
 一方、富山と金沢以遠を結ぶ列車についてはどうでしょうか? この方面の運行本数はもともと多い上にあまり変動がなく、高い利便性を維持し続けているといえるでしょう。しかし、全ての列車が敦賀以遠で大阪や名古屋方面へ向かっており、山陰などの日本海側地域へ向かう列車はありません。それを多少補完する役割を担ってきた福井と舞鶴方面を結ぶ列車も、1984年の時点で既に2本しかなく、1988年には全廃されています。つまり、鉄道は北陸と山陰を直接結ぶ機能をほぼ失ってしまった訳です。今や、日本海側地域の交通体系は、北陸と山陰の間でほとんど分断されているといえるでしょう。
 このほか図には表れていませんが、運行体系上の問題も存在します。2001年3月のダイヤ改正により、北陸を中心とした昼行列車(夜行列車以外の列車のこと)の運行体系は、大阪〜富山、金沢〜新潟、新潟〜酒田以遠の3つに完全に分割されました。このため、日本海側の地域間を移動しようとすると、乗り換えを余儀なくされてしまう場合が多くなってしまったのです。例えば、昼間に福井から新潟へ向かうには必ず金沢か富山で乗り換えが必要ですし、更に新潟以遠に向かうにはもう一度新潟で乗り換えなくてはなりません。金沢や富山から新潟以遠へ向かう場合も、必ず新潟で乗り換えが必要となっています。
 富山県内では、特に新川地区で利便性が低下したのではないでしょうか? 現在、新川地区を富山方面に向けて発着する昼行列車は、ほとんどが金沢止まりになっています。金沢以遠に行く列車は、越後湯沢〜福井を結ぶ一往復と、魚津〜大阪を結ぶ一往復だけです。そのため、例えば魚津などから金沢以遠に向かう場合には、ほとんどの場合、富山か金沢で乗り換えが必要になっています。

図1

 (2)航空
 図3と図4に、北陸地域を発着する航空機路線を示しました。新潟空港については、富山や金沢からの時間距離を考えると、これを北陸の空港として扱うことに疑問を感じないわけでありませんが、一応加えておきます。     
 さて、両図を比較すると、路線が大幅に拡充されることが見て取れると思います。1984年の時点では、北陸地域との路線で結ばれているのは5都市にすぎませんでしたが、2001年には13都市(季節運行路線を含む)と、2倍以上に増えています。 
 ところがどういう訳か、北陸地域と日本海側地域を結ぶ路線は全くと言っていいほど整備されていません。この路線に該当する路線としては、1984年から既に存在していた新潟〜佐渡路線と、1996年に開設された小松〜出雲路線があります。このうち前者は、離島路線としての色彩が濃いため、北陸地域と日本海側地域を結ぶ役割を担っているとは言い難く、実質的にその役割を担っていたのは後者だけでしょう。
 この小松〜出雲路線は、一日一往復とは言え、北陸と山陰の間に横たわる、日本海側交通体系の最も大きな空白部分を埋める唯一の公共交通サービスであり、意義深いものです。しかしながら、2001年3月末日で廃止されてしまいました。原因は、採算がとれないためで、19人乗りの小型機を使用しているにもかかわらず、1999年度の平均利用率が53.7%にしかならなかったとのことです。同じ日本海に面していながら、北陸と山陰がいかに疎遠な関係となっているかを、端的に表していると言えるでしょう。

図3 北陸地域発着の航空機路線網(1984年1月現在)

図4 北陸地域発着の航空機路線網(2001年3月現在)

 (3)高速バス
 近年の高速道路網の拡充に伴って、今や高速バスは、鉄道と並んで主要な旅客輸送機関に数えられています。1984年の時点では高速バス路線が皆無であった北陸地域においても、北陸自動車道の延伸と完成を追いかけるように、高速バス路線の開設が相次ぎました。
 図5は、北陸地域を発着する現在の高速バス路線網を示しています。特に際だった特徴として、新潟県内での路線の細かさが見て取れるでしょう。新潟県では、新潟を中心に県内各方面へ高速バス網が広がっており、旅客輸送で大きな役割を果たしています。
 ところが、富山、石川、福井の北陸3県では様相が違っています。新潟県同様、北陸自動車道という高速道路網を持ち、都市も連なっていながら、なぜか自県内をカバーする高速バス網がほとんど存在しないのです。ただ、新潟県は北陸3県の各県に比べ、県域が広い訳で、高速バス需要が発生するにはある程度の距離的隔たりが必要なのではないかと推測することもできます。ならば北陸3県では、金沢〜富山や、福井〜富山、富山〜福井など3県相互の路線が考えられても良いように思うのですが、そのような動きは見られないようです。
 北陸3県と新潟県との間についても、路線は金沢〜新潟(一日二往復)に存在するのみとなっています。そして実は、この路線が県域を越えて北陸地域と日本海側地域を結ぶ唯一の路線なのです。これ以外に北陸地域から日本海側地域を結ぶ路線は全く無く、ほぼ全ての路線が首都圏や京阪神、名古屋、仙台など、太平洋側の大都市圏へと向かっています。つまり、高速バスは、こと日本海側の地域間を結ぶことに関しては、あまり大した役割を果たしていない訳です。北陸地域の高速バス路線は、お互いに隣県に関心を払わず、各々大都市圏の方へ顔を向けていると言えるでしょう。
 北陸地域は、日本海側地域の中でも、いち早く高速道路が整備された比較的恵まれた地域です。にもかかわらず、これを利用した地域内の公共交通を発展させていないのは、大変もったいないように思います。今後、日本海沿岸自動車道(羽越自動車道)や近畿自動車道敦賀線(舞鶴自動車道の延伸)の開通によって、日本海側地域を結ぶ高速バスの路線新設が期待されないわけではありません。しかし、これまでの経緯を考えると、あまり楽観はできそうにもないのです。

図5 北陸地域発着の高速バス路線網(2001年3月現在)

まとめ

 以上、3つの交通の利便性をみると、あちこちで分断された日本海側の交通体系が見えてくるでしょう。現在、日本海側の交通体系は、北陸と山陰の間に大きな空白地帯を抱える一方、直江津〜長岡間が新たな空白地帯として次第に形成されつつあります。空白地帯となっていない地域でも、鉄道の運行体系は金沢や富山、新潟で寸断されており、それを補完すべき高速バス網も航空路も航路も存在しない状態です。まさに、「日本海側に住んでいると日本海側に行きにくい」という皮肉な状況が生まれつつあります。このままでは、日本海側地域の間を移動する際に、一度東京や大阪へ出ることが一般的になりかねません。
 このような交通体系になったのは、大都市圏への利便性を重視するあまり、大都市圏の都合に振り回されて交通体系の改変を積み重ねてきた結果であると思われます。まさに、今の日本海側地域は、お互い「地域」としての連携のとりにくい、バラバラな状態になっているといえるでしょう。
 「環日本海」という枠組みから考えるならば、これは大変問題のあることです。なぜならば、対岸諸国との交流の窓口と期待されている日本の日本海側の地域が、お互い連携のとれない脆弱な地域であるとしたら、対岸諸国は日本に目を向けても、日本の日本海側の地域には目を向けてくれないかもしれません。
 北陸新幹線の富山までの着工が現実のものとなった現在、日本海側の交通体系が分断される懸念が一層増したと言えます。確かに、北陸新幹線も重要です。しかし、環日本海時代の到来を期待するならば、そろそろ日本海側の地域間を結ぶ交通体系の整備を積極的に説いでいく時期にあるのではないでしょうか。

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岡本勝規(okamoto@toyama-cmt.ac.jp)