井波彫刻業に学ぶ人材育成
駒澤大学文学部 助教授 須山 聡

 ITばかりがもてはやされる昨今,しかしITだけではモノは作れない。最終的にモノを作るのは人の手であるが,では「モノ」を作る「ヒト」はどのように作られるのであろうか?人材は一朝一夕には養成できない。産業のあらゆる分野で熟練が姿を消しつつある今,「モノづくり」の基盤となる「ヒトづくり」の方法を「究極のローテク」である手仕事の現場に求めてみるのも,あながち無駄なことではあるまい。

1 井波彫刻業の特徴−古くて新しい産地
 井波は全国でほぼ唯一の彫刻産地であり,経済産業大臣指定の伝統的工芸品産地でもある。主要な製品は欄間,置物,社寺・曳山彫刻であるが,雛人形やスクールパネルなどの新商品の開発にも力を入れている。現在約190の事業所で,年間20億円あまりの生産をあげている。
 井波彫刻業の起源は社寺の修築を業とし,加賀藩から特権的な免許を得た拝領大工にさかのぼるとされる。しかし彫刻が拝領大工の仕事から分離し,組合を組織して産地を形成したのは1920年代のことである。1産業として独立した背景として,一般住宅向け製品を新たに開発した点が特筆される。県民にとってなじみ深い欄間や天神様などの彫刻は,実のところ20世紀前半に新たに生み出された商品である。

2 徒弟制による技能訓練−現場実習は効果的 ―
 後継者の確保・養成は,日本の伝統工芸すべてに共通する問題である。どの産地に行っても後継者不足を嘆く声がしきりと聞かれる。そのなかで井波彫刻は,後継者に関して(少なくとも人数の面では)不安が少ない。
 井波では現在でも徒弟制による技能訓練がなされている。と同時に彫刻師になるための学校が設立されている。徒弟制と学校という,一見相反する訓練制度が併存していることこそが,井波彫刻業を後継者問題から救っている。
 井波彫刻の徒弟制は5年を年季とし,原則として親方宅や近所のアパートに住み込みで技能を修得する。したがって徒弟は四六時中親方の言動を目の当たりにして仕事を覚える。もちろん教材はなく,親方や先輩職人の姿が生きた教材となる実物教育である。徒弟は,弟子入り早々から現場で商品製作に携わる。「技は見て盗め」とよく言われるが,井波では往々にして「盗むより先にとにかくやってみる」ことが弟子に求められる。見ている余裕などはない。失敗したら(優しく?)直されるだけである。通常,新弟子は彫刻刀の研ぎ方をまず教えられ,最初は目立たない部分の彫刻から始める。当然最初は失敗の連続であっても,技能が上がるにつれて次第に高度な彫刻が任される。徒弟制につきまとう暗いイメージは稀薄になったものの,修業そのものは大変厳格になされている。
 多くの彫刻工房は,街路からみえる場所で作業をしている。徒弟は親方や先輩の指導下にあると同時に,来客や通りすがりの観光客への応対もしなければならない。しかし,彫刻技能とは関わりのない「雑音」も,独立開業したときに必要となる経営センスを磨く上では重要な修業となるという。単に生産技能にとどまらず,客への応対のしかたや営業のやりかたまでもが修業の対象となる。すなわち,井波では学ぶ者(徒弟)が生産現場から隔離されていないため,生産に関するあらゆることを同時並行的に修得することができる。現在においてさえも住み込みの徒弟制が維持されている理由として,井波彫刻業が技能以外の側面に関する教育を技能教育と同等に重視している点があげられる。

3 職業訓練校での技能訓練−訓練環境の充実
 徒弟制による現場実習のみでは体系的な知識が身につかなかったり,手がけることができない工程もある。このような短所を補完するため,徒弟は5年間の修業と並行して職業訓練法人井波彫刻工芸高等訓練校(以下,訓練校と略す)において技能訓練を受ける。
 訓練は1カ月に5、6回あり,午前・午後・夜間のいずれかの時間があてられる。訓練内容は,通常の修業ではできない学科や実技を中心としている。事業所において徒弟がたずさわれる仕事は,仕上げ彫りなどの一部工程が大半である。大部分の徒弟は訓練校においてはじめて図案を描き,彫刻の全工程を実習する。事業所における修業は,同じ工程を実習・反復しつつ,高度な技能へと緩やかにかつ堅実に移行する。これに対して訓練校における訓練は,将来修得すべき技能を集約して訓練生に実習させ,工芸に必要な知識と技能を幅広く修得させる点に特徴がある。
 訓練校の設置にともない,訓練生(徒弟)の賃金は県の最低賃金に準拠することと定められた。前近代的ともみえる住み込み修業は,かえって徒弟に住居を保証することとなり,さらに経済的な裏づけも確保された。井波では,日常生活の懸念なく技能の修得に専念できる環境が整備されている。井波の制度はきわめて手厚い。しかし,まだ未熟練な徒弟に給料を支払うことに抵抗感を持つ事業主は存在するし,手厚い制度に安住して修業を怠る徒弟がいることも事実である。
 生活に対する保証が充実していることが,井波彫刻業への後継者参入を促している。訓練生(徒弟)は全国各地から集まる。図1によると,井波町を含む旧砺波郡出身者が減少し,代わって県外出身者の比率が増大している。1960年代後半に入校した82人のうち,井波町出身者が19人,井波町をのぞく旧砺波郡出身者が24人を占めた。1970年代後半から旧砺波郡出身者は減少し,続いて1990年代には井波町出身者さえもが激減した。現在では徒弟の大半を県外出身者が占めている。
 井波の徒弟は,事業所では商品の製作に加えて経営に関する実務を体得し,訓練校では作品制作を修得することができる。事業所での徒弟制と訓練校での技能訓練の組み合わせは,きわめて効率のよい相互補完的な技能者養成システムである。輪島塗や笠間焼などでも技能訓練機関は存在するが,徒弟全員が入校する例はない。このような環境下で,彫刻のことなど何も知らない素人が,一人前の職人へと変身する。

4 作家への道−さらに上を目指す人々
 5年の年季が明けた後,徒弟は一人前の職人とみなされ,独立自営が可能となる。しかし,年季が明けたばかりの若い職人はそれこそまだ「形ばかり」である。社会・経済的に自立可能な事業主となるためには,さらなる研鑽が必要である。芸術作品としての彫刻・彫塑の制作が,職人の社会的評価を得るための手段ともなっている。
 作家活動を行う職人は,展覧会での入選を目指して芸術作家の組織に加入する。作家組織はそれぞれ富山支部・北陸支部などとされ,展覧会を開催する全国組織に組み込まれている。井波には彫刻関連の作家組織が複数あり,職人たちは日常の商品製作から離れて研鑽を積み,展覧会への出品をめざす。井波彫刻から日展への入選者は,1975年以降毎年20人以上を数え,井波彫刻の職人の約4割は日展入選歴を持つ。
 作品制作を志す動機には個人の創造意欲が強く働くが,それ以外に顧客への広告など営業上の効果も考慮される。具体的には,商品に添えられる作家略歴に「日展入選○回」とあることで,商品価値が格段に高まる。また,作品制作の途上で新たな表現手法が得られ,それを商品製作に還元することで商品としての彫刻の水準が上がる。つまり,職人であると同時に作家であることが,営業においても技能においてもプラスに作用する。作家としての活動は,結果として日常の生産の場に還元される。

5 「井波システム」から学ぶこと−「ヒトづくり」にはしかけが必要
 井波は彫刻を作るには適した町である。徒弟制訓練校という手厚い職人の養成システムがあるだけではなく,職人がさらに作家に飛躍するための作家組織という練習場までが用意されている。これら3つの組織が重層的に重なり合うことで,素人を彫刻の芸術作家にまでしてしまう「井波システム」が形成されている(図2)。せっかく訓練校を卒業しても,出身地に帰った職人が転業・廃業する率は高い。システムからはずれてしまったためである。このシステムがあることが,井波を彫刻の町たらしめている最大の理由である。その結果,井波は彫刻のナンバーワン・オンリーワン産地となった。
図2 「井波システムの概念図

 「井波システム」は地域が産業に密接にかかわり,産業の発展を支援している好例である。零細な地場産業産地が後継者難や不景気にあえぐのは,経済の大きな動きによる不可避な現象であるとの見方もある。しかし,地域の内部に産業を発展させるための仕組みをもつことにも目を向けるべきであり,そのための政策的な投資がもっと行われてもよいと考える。井波をはじめとする地場産業は,おしなべて経営規模が零細である。1個人や1企業の努力には限界がある。しかし,零細な事業所が結集して明確な目的をもつ組織を形成することで,自らを「高く売る」ことができる。
 また熟練工不足に悩む製造業や,フリーターなどの未熟練労働力に依存せざるを得ないサービス業にとっても,井波の例は参照すべき点がある。すなわち,人材の養成にコストと時間がかかっても,優れた技術を身につけた人材をストックしておくことが,結果的にはその企業や地域に対して貢献できるということである。井波の場合,人材育成さえもが集団化され,徒弟制と組み合わせられて高度化している。さらに,業務に熟練した後もより高いレベルの目標を設定できることが,産地全体のレベルを高めている。
 井波システムは「やる気満々のプロ」を作り出す仕組みである。「やる気満々のプロ」を育てるには時間も金もかかる。井波システムはここ10年来の「リストラ」的観点からみれば,きわめて冗長で効率の悪いものに映る。しかし,冗長なシステムが現在の厳しい経済環境で生き延びている事実を,われわれはもっと考える必要がある。

(すやま さとし,富山市出身,専門分野 人文地理学)

■伝統的工芸品産業振興協会 http://www.kougei.or.jp/
■井波彫刻協同組合 http://www.chuokai-toyama.or.jp/~choukoku/
■職業訓練法人井波木彫刻工芸高等職業訓練校 http://www.chuokai-toyama.or.jp/~choukoku/