日本経済とIT革命
一橋大学・東京国際大学 名誉教授 篠原 三代平

 

1.ITによる日本経済の再逆転はありうるか

 アメリカの「大統領経済報告」や商務省エコノミストの論文では、90年代には「成長率の加速」が生じたと述べている。日本のエコノミストの間でも,そのとおりだと思っている人が多い。たしかに、GDPに占める民間設備投資比率は92年の9.9%が99年の12.6%に上昇したのだから、「投資の加速」は生じている。だが92―99年のGDPの平均成長率は3.6%にとどまり、10年前、20年前の対応期間とはほぼ同様である。しかも、62―69年の平均4.9%と比較すると、明瞭に低い。このことから、アメリカの90年代には、「投資の加速」は生じたが、「成長の加速」はまだ生じていないという判断が導かれる。

 問題は日本である。長い平成不況の影響のため、これはといった投資ブームの先行は、まだ生じていない。それが先行したアメリカでさえ「成長の加速」が生じていないのである。いわんや「投資の加速」の先行が見られない日本で、直ちに「成長の加速」が生じるとは考えにくい。

 ここ3、4年の間に情報通信インフラである光ファイバーなどを整備し、消費者のインターネットに対する教育を推進していけば、「成長の加速」が可能になると考える人は少なくない。私自身も大型イノベーションであるIT革命が中長期的には日本経済に対して大きな成長促進の役割を果たすだろうとは確信している。しかし、アメリカ90年代の好調を念頭におき、ITに重点をおけば、数年のうちに日本経済の再逆転が可能になるという考え方に対してはとんでもないことだと考える。


2.IT革命の与える3つの影響

 IT革命に関連して、情報格差(デジタル・ディバイド;digital divide)という言葉が流行語になり、森首相でさえ、これを使ったことがある。なんのことはない。インターネットなどを十二分に活用できる連中の所得が急上昇する一方、それを利用できないでいる連中の所得が相対的に低下する現象のことを指している。それはITが「所得分配」に与えたインパクトを指す。

 しかし、大型イノベーションであるIT革命は、あと2つの重要な影響を経済に対して与えることになるであろう。1つは「新セクター」の成長加速が顕著になると同時に「旧セクター」の比重が低下し、一国経済の「産業構造の変化」がプッシュされるということである。旧セクター・旧取引経路の著しい縮小と新セクター・新取引経路の突如とした比重拡大が発生するかもしれない。これは産業構造、産業組織の側面に見られる変化であって、旧セクターの縮小が、新セクターの拡大をかなりの程度において帳消しにする結果であろう。アメリカにおける「成長加速」の未発生にも案外こういった側面が鋭く反映されているのかもしれない。

 私は「所得分配」上の効果である“digital divide”に対して、この「資源配分」上の効果を“digital restructuring”と呼んだらどうかと思っている。簡単には「デジタル・リストラ」と呼んでおこう。このデジタル・リストラは案外広汎な影響を引き起こさざるを得ない。工業生産だけでない。流通経路や金融、その他サービス分野に対しても、かなりの波及効果を伴わずにはおかないからである。

 また、IT革命がもたらす第3の帰結も無視することはできない。それは“digital recession”と名付けることができるかもしれない。IT革命のために、ニュー・エコノミーが進展し、景気循環がなくなるかもしれないと信ずる人たちがいた。しかし、新しい情報通信サービスを供給する人たちが無数に現れてくる反面、それを需要する側の大企業が少数であれば、その単価の値下がりは急激なものとならざるを得ない。これは経済学上は完全競争ではなく、いわゆる需要寡占、購買寡占の場合であって、値下がりは一層大きくなる。収益率の低下、株価の下落はその結果として発生する。そして、その結果として生ずるのは、デジタル・リセッション(景気後退)である。景気後退なきニュー・エコノミーの夢は、ここにあっけなくも消え去らざるをえない。アメリカが仮に株価の暴落を回避できたとしても、このデジタル・リセッションは多分回避できないであろう。

 したがって、よく情報格差(デジタル・ディバイド)だけが云々されるが、私はIT革命の全幅的帰結をはっきりさせるためには、その3面、

(1) デジタル・ディバイド (所得分配)
(2) デジタル・リストラ (資源配分)
(3) デジタル・リセッション (循環的ダイナミズム)

を同時に取り上げる必要があると考える。日本経済でIT革命を云々するときには、この三側面を素通りして、楽観的にただ中長期的な最終の帰結だけが云々される傾向がある。私はそれはとんでもない手抜かりだと考えるものである。

 大型の技術革新を経済発展の原動力の一つと考え、これをプッシュする役割を「企業者」に担当させたのはシュンペーターであった。けれども、彼は大型のイノベーションがただプラスの絶大な効果だけを伴うとのみ考えたのではない。むしろ技術革新が経済に対して疾風怒濤(Sturm und Drang)的な撹乱効果を与える経路を通じてのみ、その全幅的な役割を果たしうるということを意識していたと思われる。彼の「創造的破壊」“creative destruction”という表現はそうであった。私がデジタルという形容詞をつけて、IT革命を所得分配・資源配分・循環的ダイナミズムの3面から分析すべきだと論じたのは、実はシュンペーターの創造的破壊を念頭においてのことである。


3.IT革命による「成長加速」の条件

 現在、IT革命下で進行しているのは、情報通信コストの急テンポの値下がりである。アメリカではこれが発生したが、日本ではそれが不十分だというので、この方面の規制の大幅の撤廃が要望されている。どうやら大型イノベーションであるIT革命達成のためには、この意味で情報通信コストの持続的低落は不可欠かと思われる。

 考えてみると、それに先立って、1970−80年代には、半導体チップの大幅かつ持続的低落が発生した。それが起導点となって、そのあとには、コンピューターを中心とした電子工業が急拡大し、いわゆる「軽薄短小型」の産業構造へと移行したが、これはついこの間の出来事だったかと思われる。この場合も半導体チップの値下がりが不可欠であったかに思われる。

 また、第二次大戦後の日本経済では、豊富低廉なオイルを土台として、鉄鋼・石油化学といったいわゆる「重厚長大型」の産業が発展するといった時期があった。その当時のlow cost oil(安価な石油)は、別に戦後の特定の技術進歩がそれをもたらしたということはできない。けれども、重厚長大型の諸産業の発展に石油価格の低位持続が不可欠な役割を果たしたことは確実である。そしてこの条件が石油ショックの発生によって崩れ去ったときに、半導体チップの値下がりを経由した軽薄短小型産業構造への移行は一つの必然的な発展経路とならざるを得なかったとみることができる。

 したがって、大型のイノベーションの登場には、どうやら新しい画期的な新技術パラダイム(枠組み)を支えるような中核的な生産要素の単価の持続的な値下がりが発生しなければならない。それだけではない。新しいプロダクト・プロファイル(品種構成)、新しい経営組織、新しい熟練プロファイル(あり方)、そして、新しい情報通信インフラへの積極的投資も行われねばならない。いわば、大型のイノベーションが成功するためには、社会・経済における急角度のシステム・トランスフォーメーションが必要になる。

 これが簡単に短期間に可能になるとは思われない。中長期にわたる構図を前方に描き、一歩一歩前進していかねばならない。またアメリカ90年代にみられたように、「成長加速」に先立って「投資加速」も先行して、基礎的条件を整備しなければならないのではあるまいか。

篠原 三代平・・・1919年富山県高岡市生まれ。高岡高等商業高校、東京商科大学〈現・一橋大学〉卒業。一橋大学教授、経済企画庁経済研究所長、成蹊大学教授、東京国際大学教授を経て現職。98年文化功労章を受賞。『日本経済の成長と循環』『世界経済の長期ダイナミクス』など著書多数。最近の著書に『長期不況の謎をさぐる』(1999年刊)がある。