雇用回復をめざす経済政策
―雇用の創出にしばらくは政府の役割が重要―

和歌山大学経済学部教授(前富山大学教授)
松川 滋


 最近の労働市場の状況は、有効求人倍率がゆるやかに回復基調を辿っている一方で、先 ごろ発表された12年4月の完全失業率は4.9%と、過去最高の水準に留まっており、 依然として深刻な状態が続いている。

  1960年代であれば、「積極的な財 政金融政策をさらに進めることによって、不況からの脱出を図るべきである。」との議論 が、何の疑いもなく受け入れられたであろう。しかし今日では、不況下での総需要拡大政 策は、その明確な根拠が示されない限り、説得力に欠けたものとみなされてしまう(戦後 のマクロ経済政策全般に関しては、たとえば、「経済指標のかんどころ 第20版」(富 山県統計協会発行) 第1章 経済動態、第2章 経済運営 等を参照されたい)。

  それでは、現時点で雇用回復を目指すには、経済政策はどのようなものであるべきなのだろうか。

雇用の維持? それともリストラの先送り?
 総需要管理政策に対する1960年代と現代との間における評価の違いが生じた原因を 一言で説明するならば、不況下における総需要拡大政策の長期的効果について、多くの疑 問が生じてきたことであるといえよう。実のところ、積極的な財政金融政策が短期におい て効果的であることの根拠は数多く存在する。

  しかしそのような短期的効果を時間軸上で繋げても、長期的に望ましい政策が得られないところに、根本的な問題が存在する。総需 要拡大政策によって雇用の維持に成功したとしても、それは本来必要なリストラを次の不況まで先送りしたにすぎず、次の不況が到来したときには、新たなリストラに加えて、前回から持ち越されたリストラ部分の存在が、失業問題をさらに深刻にしてしまうだけだと の認識が浸透してきたのである。

  つまり短期的な総需要拡大政策は大きな財政赤字か不健 全な金融構造を残すだけで、雇用に対する望ましい長期的効果は期待できないと考えられ るようになったのである。96年当時の積極的な財政金融政策の発動が顕著な成果 を得な いままに、さらに深刻な不況に陥った現在の日本の状況がまさにこれに当たろう。

マクロ経済政策の変化は労使間の契約関係にも影響を及ぼす
 それでは現在の深刻な雇用情勢に対処するには、いかなる政策手段を用いるべきだろう か。残念ながら、雇用回復をめざすさまざまな政策手段の評価に関しては、なお多くの論 点が未解決のまま残されている。特に難しいのは、さまざまな政策が労使間の契約関係を どのような方向に変化させるかが、必ずしも明確ではないことである。

  たとえば先ほど述 べた昨今のケインズ的政策に対する懐疑論からすれば、本来なされるべきリストラはでき るだけ迅速に推進させるほうがよいということになろう。もし労使間の契約関係が、ケイ ンズ的な政策を放棄しても変化しないならば、この議論は正しい。しかし不況対策として の総需要管理政策が放棄されると、労働者はより強い雇用不安に直面することになるから、 それに見合う保障措置を求めることが予想される。

  不況下でも資金調達力のある企業は、 労働者に対して(政府に代わって)雇用を保障する代わりに平均的には低めの賃金と長めの労働時間を受け入れさせるかもしれない。つまりケインズ的な政策を放棄するといった 政策変化は労使間の契約関係、ひいては労働市場の諸慣行をも変化させる可能性があるか ら、その変化が経済全体にとって望ましいか否かの評価を踏まえた上で、ケインズ的な政 策を評価しなければならないのである。このような間接的効果まで考慮した総需要管理政 策に対する政策評価は、まだマクロ経済学の中でなされていない。

雇用調整を実施した企業に対するペナルティ
 そこでここでは、比較的多数の文献において支持できないとされる政策と、支持できる とされる政策を、それぞれひとつずつ指摘するにとどめておこう。しばしば前者の例とさ れるのは、雇用を削減した企業に対して、各種助成金を打ち切るといったペナルティを課 する政策である。なぜならこのような政策が行われると、企業は将来の不況下で雇用を削 減する必要が生じたときに課せられるペナルティを避けるため、あらかじめ雇用を低めの 水準に抑制しようとするので、長期的な雇用水準そのものが低くなり(あるいは労働時間が長くなり)、経済全体の生産性が低下するからである。そのマイナスの影響がどの程度 かについては必ずしも意見の一致をみていないが、少なくともこのような政策を支持する 根拠はほとんどない。

雇用創出に対する助成措置
 これに対して比較的支持できるとされるのが、雇用創出に対するさまざまな助成である。 もちろんこれとて補助金であり、市場経済への介入である以上、それなりのマイナスの効 果を伴うことは否定できない。それにもかかわらず雇用創出に対する助成が支持されるの は、雇用の創出と崩壊の間に、さまざまな点で非対称性が存在するからである。

  たとえば雇用は、それを用いて生産される財・サービスに対する需要から派生する。ところが新しい財・サービスに対する市場が立ち上がるためには、新しい財・サービスに対する情報が 一般化し、需要がある程度の規模に達し、かつ供給体制が整わなければならない。これに対し、雇用の崩壊を引き起こす「需要の崩壊」は、たとえば価格競争の結果 として、特に 外部環境の変化を待つまでもなく、市場の中で生じ得る。つまり雇用の創出をもたらす需 要の創出には、雇用の崩壊をもたらす需要の崩壊に比べて、より多くの障壁が存在するの で、ある程度の助成措置がなければ、雇用の創出は社会的にみて望ましい水準以下に留ま らざるを得ない可能性がある。このことが雇用創出に対する助成措置はある程度容認でき るとされる理由である(雇用の創出と崩壊については、平成11年版労働白書 第II部  参照)。

総需要管理政策の可能性
 結局、現在の厳しい雇用情勢に対処して総需要管理政策が用いられるとすれば、それは 新たな財・サービスに対する需要の喚起に結びつくものであるか、あるいは新しく生じた 需要を満たすための生産のボトルネックを解消するような供給サイドの充実に、その支出 が向けられることが望ましい。さらにそのような政策のリストが、優先順位付で示されて いれば理想的である。

  ところが現実の経済には多くの不確実性が存在しており、新たな雇 用創出につながるような政策を政府のイニシアティブで進めることは容易ではない。その 結果、政府が行うべきことは民間活力を最大限生かすための規制緩和や小さな政府の実現 であって、政府が雇用ないし需要の創出のイニシアティブをとるなどは、ケインズ的な政 策への逆戻りと考えられがちである。

  ただし注意すべきことは、現在のマクロ経済学はこういった問題にまで、一般 的な答えを用意しているわけではないということである。つまり先進諸国間でもそれぞれの国の実情に応じて、とるべき政策は大きく違ってくる可能性 が大きい。アメリカが1980年代に雇用の崩壊に苦しんだ後、ここ数年新たな雇用創出 が相次ぎ、未曾有の好況が続いているからといって、同じやり方で日本が現在の不況を克 服できるとは限らない。おそらく日本の場合には、政府がもう少しイニシアティブをとら ないと、現在の雇用の状況を打破するのに十分な雇用の創出は難しいのではないかと思わ れる。

 

日本の雇用創出の問題点と今後
  規制緩和や小さな政府の実現のみによる雇用の創出が、日本では必ずしも十分には期待 できないと考えられる要因のひとつは、日本人の豊かさに対する考え方が依然として「も のづくり」に偏っているという点である。そしてこれと密接に関連した問題点が、日本に おける自営業者の減少である。自営業者数は他の先進諸国では増加しつつあるのに、日本 ではむしろ減少傾向にある(図 日本の自営業者数の推移 参照)。

  雇用創出には、必ずしも新しい技術を必要とするわけではない。経済の根本にある諸資源の希少性の本質は、 技術的には可能なことであっても、経済的に不可能なことが多数存在することである。こ の点において日本の雇用創出の関心は、ハイテクベンチャー企業による雇用創出に偏りす ぎているのではないかという懸念がある。

  ハイテクベンチャー企業による雇用創出は重要 であり、また派生的な効果をもつものではあるが、それによって直接創出される雇用はわ ずかである。もっと地域密着型のサービス産業に従事する企業が、自営業者によって数多 く生まれ、それが新たな需要を掘り起こしていくことのほうが、少なくとも量 的には重要 と考える。それに伴う消費需要の拡大が国民所得の増大をもたらし、その結果 として貯蓄 率は低下しても総貯蓄自体は大きく減少することなく、安心して高齢化社会の到来を迎え ることができるようにしなければならない。そのためには民間活力を生かすことも重要ではあるが、それを軌道に乗せるまでの政府の役割もまた重要だと思えてならないのである。