「理念主導型経営」のすすめ
富山大学経済学部教授 水谷内 徹也

求められる経営理念の創造
 今わが国企業は時代の転換点に直面している。このような状況のもとで,企業という船の舵取り役を担っている経営トップにとって,企業を安全に目的地へと誘導する羅針盤や海図が必要になる。この羅針盤や海図に相当するものが経営理念である。企業は自らの目的達成のためには,明快な論理と凝縮した表現をもつ経営理念を創造しなければならない。

経営理念とは何か
 経営理念という言葉は,「経営哲学」,「経営思想」,「経営信条」などとほぼ同義に使用され,そのアプローチ(接近方法)や研究視点も多種多様であり,いまだ明確な規定がおこなわれていないのが実情である。しかし,経営理念を論ずる際に留意すべき点は,それが経営トップや創業者の強烈な個人的動機や信念を基礎として,企業内外の人びとの共感を伴って自らの事業活動を一定の目的に向けて推進する起動力ないし原動力としての特性をもつものである。
 言い換えれば,経営理念は,企業経営者がその経営活動を展開する際に拠りどころとする行動規範や行動指針,事業観,エートス(ethos;行為への実践的起動力)であると規定することができる。同時に,それは事業展開上でのドメイン(domain;事業領域)やミッション(mission;使命観)を示す戦略的価値から事業遂行上の成功要因や日常の行動規範などより限定されたものまで多様に存在している。わが国企業に一般的に見られる経営理念は,きわめてロマン的なビジョンや長期目標的な色彩をもつものが多い。

経営理念の機能
 このような特性をもつ経営理念は,企業内統合と社会的適応といった二つの機能を果たすものである。前者は,創業者や中興の祖たる経営者のモットーや人生観などに表明された精神や教訓が企業内の人びとに統一的なビジョンと一体感を創出するという機能である。この機能は,企業(組織)文化や企業体質,社風などと呼ばれるものに相当する。一方,後者の機能は,理念自体が企業外部の社会・環境諸条件の変化に影響を受けながらもこれに適応し,長期的には企業自らがその社会的な存在意義を外部に明示するという機能である。これには企業イメージやCI(Corporate Identity;企業の全体像や概要を広く認識してもらう活動),PI(Personal Identity;社員個々人(従業員一人ひとり)の存在証明)などがあげられる。

日本企業の経営理念とその制度化
 近年におけるわが国企業の経営理念の特徴は,人間性の尊重や社会性の重視といった二つの価値基軸を掲げていることである.例えば,前者については,「働く人の物心両面のゆとりと豊かさ」(A社)や「社員の個性を伸ばし充分に発揮させる」(N社),「従業員が希望に満ちて楽しく働くことができること。従業員がその収入によって豊かな生活を営むことができること」(T社)などが表明されている。
 また,後者のそれは,「良き企業市民として行動し,収益性を高め活力ある発展と社会への還元を図る」(N社)や「社会・文化活動の充実を図り,社会への貢献をさらに進める」(A社),「経営のすべての活動は企業倫理をベースに顧客のために役立つことを最大の目的とする」(F社)などが明示されている。
 しかも,これらの理念を単なる精神論やタテマエ論に終わらせないためには,理念の制度化や理念の組織内浸透を図ることが必要になる。理念の制度化・組織内浸透は,経営トップの事業観が経営戦略や管理システムなどに一貫して反映されると同時に,組織メンバー間に格差のない情報共有をもたらすからである。それはまた,企業行動のあらゆる次元での戦略展開を活性化させることにも連動する。

「理念は戦略を生む」
 企業における意思決定は,経営組織の上層部でおこなわれる意思決定ほど価値的判断の性格を帯び,下層部の意思決定ほど事実的判断の性格が強い。企業行動の基本的方向を決定しているのは,組織の上層部でおこなわれる価値前提にもとづく決定,すなわち戦略的意思決定であるため,不確実性の高い状況での意思決定には,主観的な価値判断としての経営理念やビジョンが重要になる。この意味で,不透明で不確実な未来に立ち向かう企業にとって,理念やビジョンが創造されている場合とそうでない場合とでは,企業の戦略軌道の形成に重大な影響を及ぼす可能性が高い。
 したがって,企業ならびに経営者に切望される点は,理念との関わりにおいて戦略形成の手がかりをつかみ,これに関連づけて代替案を絞っていくことである。ここに,「理念は戦略を生む」という命題が提起されるとともに,「理念主導型経営」の必要性と重要性が指摘されるのである【図表,経営理念と経営戦略の関連,参照】。


経営理念の戦略的有効性:経営危機の克服
〜ジョンソン・アンド・ジョンソン社の場合〜

「理念は決定を支配し,決定は行動を支配する。理念に個人や企業がどの程度コミットしているかの真のテストとなるのは,危機(crisis)に際しての行動の仕方である」と強調するのは,『「活力」の経営学』の著者ハーモン&ジェイコブズ(F.G.Harmon & G.Jacobs)である。この言葉が示唆するように,経営理念は企業の危機的状況においてきわめて有効な効果を発揮する。その典型例として,ジョンソン&ジョンソン社(Johonson & Johonson)(以下,J&J社と略称)のケースがあげられる。J&J社の場合,経営理念すなわち「我が信条(Our Credo)」は歴史上最大の危機において,企業の意思決定の拠りどころとしてきわめて重大で価値ある役割を演じた【J&J社の「我が信条」,参照】
 J&J社が危機的状況に直面したのは、1982年9月と86年2月に発生した同社の主力製品、超強力鎮痛剤「タイレノール」に青酸化合物が混入されたことによる死亡事件であった。
 82年にはシカゴ在住の7名の消費者が死亡し、86年にはニューヨークの女性1名が死亡した。82年の事件までの同社の社会的評価は、「高品質を提供する」であり、健康・医療関連部門におけるリーディング・カンパニーとしての地位を堅持していた。しかし、この事件はこうした同社のそれまでの評価を一変してしまったのであった。
 このような一連の事件は、J&J社の経営トップに多くの困難な意思決定をくだすことを余儀なくさせた。しかし、彼らはこれに対してきわめて迅速に対応し、この危機を克服する事に成功した。
 82年の場合、経営トップが取った措置は、「タイレノール」3,100万カプセルを市場から撤去すると同時に、異物を混入し得ないようにパッケージに三重の防御策をほどこし、数週間後には同製品を市場に再投入することを決定した。
 86年においても、販売を停止し全製品を回収した上で、一般消費者むけのカプセル薬の製造販売を全面中止し、すでにカプセルを購入した消費者にはキャブレット(カプセルと錠剤の中間形態)ないし錠剤との無料交換を通知した。
 その結果、大方の予想に反して「タイレノール」のシェアはそれまでの実に90%にまで回復したのであった。
 こうしたJ&J社の経営トップがその意思決定の拠りどころとした「わが信条」は,1974年以降同社の経営理念として掲げられ,今日まで信奉され続けている。「我が信条」の内容は,「われわれにとって重要なことは4点ある」と謳い,第一に顧客に対する責任をおき,第二に従業員への責任,そして第三に地域社会に対する責任においている。しかも,こうした顧客や従業員,地域社会の三者に対して順次その責任を達成し,最後に第四の責任主体としての株主への責任にいたるという,いわゆる企業の社会的責任や社会貢献の段階的な達成を強調している。
 82年と86年の2度にわたる同社を襲った「タイレノール危機」を克服し得たのは,経営トップがつねに理念としての「我が信条」にあくまでも忠実であり続けたことによるものである。ことに,信条に謳われている顧客への便益や地域社会への安全性の配慮などを的確に遂行し,しかもスピィーディーな意思決定をくだしたことが同社の危機回避のカギであった。
 このような経営トップによる「理念主導型アプローチ」の重要性に加え,企業利益を意思決定に優先することを重視せず,むしろ顧客や地域社会などのステイクホルダー(利害関係者;stakeholders)に対する責任や貢献の結果として企業利益を規定し,これを長期的な観点から捉えるという,いわゆる「啓発された自利」(enlightened self-interest)の精神を認識したこともまた注目すべきである。
 この意味で,J&J社の「タイレノール危機」は,近時のわが国企業の経営行動に対して,経営理念と戦略展開の密接不可分な連関を教訓として示している。

【付記】「J&J社における経営危機の克服」については,次を参照した。
   “Johnson & Johnson,1997,May 12.
http://www.johnsonandjohnson.com/who_is_jnj/cr_index.html



ジョンソン・アンド・ジョンソン社の「我が信条」

 我々の第一の責任は、我々の製品およびサービスを使用してくれる医師、看護婦、患者、 そして母親、父親をはじめとする、すべての消費者に対するものであると確信する。
消費者一人一人のニーズに応えるにあたり、我々の行なうすべての活動は質的に高い水準のものでなければならない。適正な価格を維持するため、我々は常に製品原価を引き下げる努力をしなければならない。顧客からの注文には、迅速、かつ正確に応えなければならない。我々の取引先には、適正な利益をあげる機会を提供しなければならない。

  我々の第二の責任は全社員 ――世界中で共に働く男性も女性も―― に対するものである。社員一人一人は個人として尊重され、その尊厳と価値が認められなければならない。社員は安心して仕事に従事できなければならない。待遇は公正かつ適切でなければならず、働く環境は清潔で、整理整頓され、かつ安全でなければならない。社員が家族に対する責任を十分果たすことができるよう、配慮しなければならない。社員の提案、苦情が自由にできる環境でなければならない。能力ある人々には、雇用、 能力開発および昇進の機会が平等に与えられなければならない。我々は有能な管理者を任命しなければならない。そして、その行動は公正、かつ道義にかなったものでなければならない。

 我々の第三の責任は、我々が生活し、働いている地域社会、更には全世界の共同社会に対するものである。我々は良き市民として、有益な社会事業および福祉に貢献し、適切な租税を負担しなければならない。我々は社会の発展、健康の増進、教育の改善に寄与する活動に参画しなければならない。我々が使用する施設を常に良好な状態に保ち、環境と資源の保護に努めなければならない。

 我々の第四の、そして最後の責任は、会社の株主に対するものである。事業は健全な利益を生まなければならない。我々は新しい考えを試みなければならない。研究開発は継続され、革新的な企画は開発され、失敗は償わなければならない。新しい設備を購入し、新しい施設を整備し、新しい製品を市場に導入しなければならない。逆境の時に備えて蓄積をおこなわなければならない。これらすべての原則が実行されてはじめて、株主は正当な報酬を享受することができるものと確信する。

(出所)T.A.Falsey,Corporate Fhilosophhies and Mission Statements,Quorum Books,1989,p.27