いまから1300年以上前の昔、北陸地方一帯は「越(高志・古志)の国」(こしのくに)とよばれていました。それが7世紀末、越前、越中、越後の3つに分かれ、越中の国府は、いまの高岡市伏木(ふしき)におかれました。
越中守(えっちゅうのかみ)として文献(ぶんけん)に初めて登場するのは天平4年に任ぜられた田口年足(たぐちとしたり)で、次に登場するのが天平18年(746)に任ぜられた、万葉(まんよう)の歌人としても知られる大伴家持(おおとものやかもち)です。家持は、28歳で国守となり、5年間を越中でくらしました。
そして、家持が任期をおえて越中を去ったのち、天平宝字元年(757)に越中国から能登(のと)地方が分かれ、越中はいまの富山県の県域と同じになりました。
 
『万葉集』の代表的な歌人だった家持は、越中でくらした5年間に多くの歌をよみました。『万葉集』の中に家持の歌は473首あり、そのうち越中での5年間によまれたものは、223首にのぼります。家持の歌には越中の山・川・気候・動植物が多くよまれました。歌によんでいる二上山(ふたがみやま)の山頂近くには家持の銅像が建てられています。

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