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議長のしくみと役割

議会の沿革

富山県の誕生

 富山藩→富山県(明治4年7月)→新川県(明治4年11月)→石川県に併合(明治9年4月)→分県運動により富山県の誕生(明治16年5月9日)

  明治2年 4年7月 4年11月 5年9月 9年4月 16年5月
越中国 婦負郡 富山藩 富山県 新川県 新川県 石川県 富山県
新川郡
砺波郡 金沢藩 金沢県
射水郡 七尾県
能登国 石川県 石川県
加賀国 金沢県

 明治4年(1871)7月の廃藩置県により、金沢藩(明治2年の版籍奉還より、加賀藩を金沢藩と称するようになっていた。)は金沢県に、富山藩は富山県となった。

 この頃の富山藩は、越中国でも富山町と婦負郡および上新川郡の一部からなる小さな藩で、その他の新川郡や砺波郡・射水郡など大部分は加賀藩領であった。
 越中国はもともと加賀の前田家120万石の支配地で、三代利常の時代に三子利次に富山藩10万石を分封したことによる。
 明治4年11月、射水郡のみ能登国と合して七尾県となり、その他は新川県と改組した。
 明治5年9月、射水郡が新川県に編入され、旧越中国が一県にまとまった。

 しかし、明治9年4月、新川県は石川県に併合され、県庁は金沢に移ったが、道路改修に力を入れる加賀・能登衆と、永年水害に悩まされ河川改修を主張する越中衆では折り合いがつかず、次第に越中側の不満が高まっていった。ここに、米沢紋三郎らを中心とする分県運動が起こった。

 建白書を提出するために太政官府に日参すること二カ月。ようやく、その願いは聞き届けられ、明治16年5月9日太政官布告第15号をもって富山県が誕生した。初代県令(現在の県知事)に国重正文を迎え、7月1日開庁式を挙げた。

富山県の発足

 はじめての県会は、明治16年(1883)8月17日、富山師範学校の講堂を借りて開会した。

 これに先立ち、7月に選挙が行なわれ、22名の議員が選出された。当時の議員の被選挙権は地租10円以上納付の満25歳以上の男子、選挙権は地租5円以上納付の満20歳以上の男子だった。任期は4年で、2年毎に半数が改選された。

 県会では、まず初代議長に武部尚志が選ばれ、以後、明治20年(1887)11月22日に議事堂の落成式が行なわれるまでの4年余り、学校や寺院を借用しながら県会を開会するという、まさに議会政治の黎明期であった。

県民のあゆみ

 「府県制」と「郡制」は、府県及び郡の基本法規として明治23年(1890)5月17日公布されていた。富山県でも、明治29年(1896)3月法律第1号により、上新川郡が上新川郡と中新川郡に、砺波郡が西砺波郡と東砺波郡にそれぞれ分かれ、射水郡から氷見郡が独立し、従来の下新川郡と婦負郡を合わせて8郡となり、6月1日より郡制が、7月1日より府県制が実施された。

 「府県制」は何度も改正された。明治32年(1899)には、選挙人の資格を直接国税年額3円以上納付者に改正し、また半数改選を廃止した。議員定数も31名となった。
さらに、大正15年(1926)の改正では、税額による制限が解除され、公民は等しく選挙権や被選挙権を有することとなった。しかし、女性の選挙権は戦後まで認められなかった。

 昭和4年(1929)、議員に発案権が与えられ、また議会招集請求権が認められた。一方、知事の停会権(会議を中止し県会を解散する権利)が廃止され、原案執行権(県会で否決されたり審議未了であっても、国の指揮のもとに原案を執行する権利)も縮小された。このように、改正の度に、選挙権の公民への拡大が図られ、議会の権限が強化されていった。県会の歩みは、自由民権の歩みでもあった。
 しかし、昭和18年(1943)、太平洋戦争中の国家統制の一環として再び議会の権限が縮小され、知事執行権が強化されるなど時代に逆行することとなった。この状態は、昭和20年(1945)の終戦まで続いた。

富山県議会の船出、そして未来

 昭和22年(1947)4月17日「地方自治法」が公布され、5月3日「日本国憲法」と同時に施行された。この「地方自治法」の要旨は、地方自治強化のために議会の権限を大いに拡大し、住民自治の実現を図るものであった。また、富山県会は富山県議会と改称された。

 4月30日には、県議会議員選挙が全国一斉に行なわれた。富山県では44名の議員が選出され、初の女性県議として氷見郡から池淵正が最高得票を得て当選した。

 5月31日臨時会が開かれ、議長に前田治吉、副議長に上野興仁を選出した。また、議会の民主運営のための審議機関として、総務・教育・経済・土木・農地・警務・厚生・戦災復興の八つの常任委員会を設置した。

 当初、年6回以上の定例会に加え臨時会も多く開かれたが、昭和27年に定例会は年4回と定められた。山小屋・漁業権問題、県営電気事業の復元への請願、富山産業大博覧会、第13回国民体育大会、富山新港の建設、富山空港の整備、38豪雪、北陸自動車道建設促進、登山届出条例、立山黒部アルペンルートの完成、イタイイタイ病対策などをめぐって、数多くの論戦が繰り返されてきた。

 昭和46年2月10日、現在の議事堂が完成し、一層議会活動が活発化している。
富山県議会は、これからも県民一人一人の声を県政に反映させ、美しく豊かな自然を守り、次世代へ向けて県勢の発展に努めている。

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