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氷見市柳田布尾山古墳

最終更新日:2005年4月1日

学識者コメント

氷見市発見の前方後方墳について

立命館大学文学部教授 和田晴吾(考古学)

1 氷見市で、墳長約107mもの大型前方後方墳が発見されたのには、たいへん驚きました。こんな大きな古墳が未発見で眠っていたなんて。発見者の西井さんには敬意と感謝の気持ちを伝えたいと思います。

2 その大きさは、富山県教育委員会及び氷見市教育委員会が発表されたとおり、前方後方墳としては日本海側で最大、全国でも第10位に入りますし、前方後円墳を含めても北陸では第4位の大きさ、能登以東では日本海側最大であります。

3 古墳の形と大きさは、その被葬者やヤマト王権内における政治的身分を端的にあらわしていると考えられますので、氷見には、ここを拠点に富山湾一帯に権勢をふるった、「越」では屈指の有力な首長がいたことが、証明されたわけです。

4 日本海沿岸では、潟の存在する場所に豊かな遺跡が残されている場合が多いのですが、ここでも、十二町潟という天然の良港の存在が、有力な首長を生み出す好条件の一つとなったのでしょう。

5 測量図を見たかぎりでは、後方部の一部が壊されているとはいえ、墳丘は非常に良く残っています。その形から、4世紀中頃の古墳と推測されます。

6 今後は、適切な調査の後、かけがいのない史跡として、ぜひ有効に保存し活用してくださるよう希望します。

氷見市発見の前方後方墳の意義

富山大学人文学部教授 宇 野 隆 夫(考古学)

このたび氷見市で発見された前方後方墳(仮称、柳田布尾山古墳)には、以下のように極めて重要な意義があると考えられる。

1.日本海域最大の前方後方墳が氷見市に築かれた。 したがって、ここに葬られた人は、日本海域全体の何らかの営みを統括した、と考えるべきである。

2.この古墳は、氷見の海を見おろす位置にあり、そこには良港があったと推定できる。また、能登半島の反対側の羽咋市と結ぶ陸路もあったであろう。氷見は越中・能登の境にあって、水陸交通とりわけ日本海海運の要の地であるといえる。

3.前方後方墳は、東日本で発達した墓型式である。また、西の大勢力である出雲は独特の四隅突出墓地帯であったが、古墳時代前期には方墳・前方後方墳の地帯となった。このような中で、柳田布尾山古墳が日本海側で最大の前方後方墳であることに意味がある。

4.この時代、畿内(近畿)と政治的な結びつきが強い人は、前方後円墳に葬る傾向があった。しかし柳田布尾山古墳は、越中・能登のどの前方後円墳よりも大きい。

5.以上のことから、柳田布尾山古墳は、越中・能登を主な勢力基盤として、日本海域の経済(交通・交易)を握った大有力者の墓である可能性が高い。葬られた人は、かなり自立的な性格をもっていたことを推定できる。このことは、「前方後円墳が上位、前方後方墳が次位」とみる従来の定説に見直しを迫るものである。

6.本古墳が古墳時代の前期前半(3世紀後半・末〜4世紀初め)か、前期後半(4世紀中頃〜末)かによって評価がかなり変わる。そのため今後、本古墳の保全と年代の確認のための調査を実施することが重要である。
 a.前期後半であれば、上記の1〜5の評価でよい。
 b.前期前半であれば、重要性はさらに大きくなる。つまり、(前方後円墳・前方後方墳を含めた) その時期の古墳の中では本古墳が日本海域最大の古墳となるため、1〜5の評評価に加え、日本海域の政治も握った重要人物の墓と考えなければならない。

7.旧石器時代から中・近世に至る各時代において、富山県には全国でも屈指の重要遺跡が多くあるが、古墳時代がやや見劣りしていた。柳田布尾山古墳は、この従来の常識を打ち破った。 そのため、縄文時代の小矢部市桜町遺跡の意義から、万葉の時代の華やかな営みまで、連続的に理解することができるようになった。これらの背景の一つには、当地域が日本海域の海運にまつわる力を握ったことがあり、この点は中・近世へとさらに発展した。
 以上のように、柳田布尾山古墳の発見の意義は極めて大きいといえる。

都出比呂志 大阪大学教授のコメント(H10.8.31)

1 大きすぎて、すぐには全体を把握できなかった。発見された西井さんには、心から敬意を表したい。

2 これまでの調査から、全長107mと言うことであるが、一般的に墳丘の裾が削られていることが多いことから、さらに大きくなることも考えられる。

3 布尾山古墳の全国的位置づけは、前方後方墳としては10位ということになっているが、1位とされる奈良県の西山古墳(180m)は、前方後方墳の上に前方後円墳が乗っている形であり、私は、前方後方墳ではないと考えている。したがって、大型の前方後方墳は、130mクラスのグループが最大規模であり、布尾山古墳は、それに次ぐ110mクラスのグループとしてとらえるべきである。

4 いづれにしても、これだけの規模の古墳が氷見にあることの意義は、我が国の古墳研究を考える上で、極めて貴重である。

5 近い将来、詳細な測量や試掘調査などにより、この古墳の年代、規模、形状など詳しい情報が得られれば、さらに新たな評価を加えることができるものと考える。

(H10・8・31日現地にて 県文化課まとめ)

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