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とやまのチューリップ

最終更新日:2015年4月22日

とやまのチューリップ球根生産の歴史

 富山県で初めてチューリップ栽培を始めたのは、東砺波郡庄下村(現在の砺波市)の水野 豊造(みずのぶんぞう)さんたちです。大正7年(1918年)のことでした。

水野豊造さん その当時は、水稲単作地帯で規模の小さな農家が多く、冬は積雪のある寒冷地帯であったことから、冬季間の就労機会も少なかったため、農家経営は厳しく水田を有効に活用して農業所得を確保できる作物の導入が求められていました。
 水野豊造さんも種々の園芸作物を試作しました。その中で当初10球あまりを取り寄せ試作していたチューリップ球根を切花として販売したところ当時まだ日本では珍しい草花であったことから高値で売れ、更に球根の販売も試みたところ種苗商が高く買い取ったことを契機に、本格的なチューリップ球根の栽培に取り組み始めたのです。
 その後水野さんは、球根栽培に工夫を重ねながら地区内の人々にも広く栽培を働きかけました。大正13年(1924年)には13人の仲間とともに「庄下(しょうげ)球根花卉実行組合」が誕生しました。

昔の作業風景 富山県には、チューリップの生育に適した気温、日照時間、肥沃な土地、豊富で良質な水などの自然の恵みがあり、チューリップ栽培は水田裏作の有望な特産物として県下全域に波及していきました。
 この間、海外市場を開拓するため、昭和10年に「砺波輸出花卉球根出荷組合連合会」が、昭和13年に「富山県輸出花卉球根出荷組合連合会」が設立され、チューリップ球根3万球が米国に初めて輸出されました。ピーク時昭和39年には、生産量の7割にあたる1900万球が輸出され「富山のチューリップ」は海外でも好評を博しました。  
 太平洋戦争で中断を余儀なくされた球根栽培も、昭和21年辛うじて保持されていた原種を足がかりに復活し「チューリップの絨毯(じゅうたん)」が戻ってきました。
 更に、昭和23年に生産者によって「富山県花卉球根農業協同組合」が設立され、県内全体をカバーする生産・集荷・販売体制が築き上げられました。

チューリップ球根の栽培ほ場(朝日町) 近年は、事実上の輸入自由化が始まり、安価なオランダ産輸入球根が急増し球根販売は厳しい状況にありますが、生産者・富山県花卉球根農業協同組合・県などの関係機関が協力して、オリジナル品種開発や低コスト栽培管理技術の普及などに取り組んでいます。
 このように、水野豊造さんが初めて育てた富山県のチューリップは、創立〜躍進〜充実〜国際化などのさまざまな時代を乗り越えて、出荷量日本一の産地として発展しています。

【 情報発信元 】
農林水産部 農産食品課 電話:076-444-3282  [ お問い合わせフォーム
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