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第51回(平成28年度)「とやま県民家庭の日」に関する作品コンクールの結果について

最終更新日:2016年12月10日

富山県知事賞の受賞作品紹介

「「とやま県民家庭の日」に関する作品コンクール」富山県知事賞受賞作品を紹介します。 

富山県知事賞受賞作品(作文の部)

わたしの家族
  砺波市立砺波南部小学校3年 宮本 真央 

 わたしのお母さんは、5月から7月の終わりくらいまで入いんしていました。お母さんの足のほねを手じゅつするためです。じつは、4年前も同じ手じゅつで3か月入いんしていました。わたしは4年も前だったのでわすれていたけど、お母さんがいない生活を考えると、自分ががんばれるかが心配でこわくなりました。それから、お母さんの手じゅつをする先生がかわったので、せいこうするのかも心配でした。
 お母さんが入いんしてから、お父さんとお兄ちゃんとわたしだけの生活になりました。朝ごはんを作っているお父さんの顔を見ると、とてもいそがしそうでした。わたしは「一番いそがしそうにしているお父さんのやくに立てるようにがんばろう。」と思いました。お父さんがごはんを作る間、お兄ちゃんとわたしでせんたく物をたたみ、たんすにしまいました。それから、さらやはしをならべました。「お母さんとお父さんは、いつも、こんな大へんな事をがんばっているんだなあ。」と思いました。3人でがんばったから早くおわったし、チームワークがよくなりました。
しばらくして、お母さんが家に来られる様になりました。お母さんが作ったごはんを食べたり、いっしょにおふろに入ったりいっしょにねたりできるようになりました。いっしょにねられるのがうれしくて、なかなかねむれませんでした。お父さんは、
「お母さんがいると、ごはんを作らなくてすむなあ。」
と、にっこにこでした。お兄ちゃんはごはんをおかわりして、もりもり食べていました。
 お母さんは、手じゅつが大せいこうし、2週間早くたいいんできました。それでも、つえをついてゆっくり歩くので、おもいに物を持ったり買い物を手つだったりしています。4人でおしゃべりすると楽しくて、また、いつもどおりの毎日にもどりました。
 わたしの家族はパズルとにています。パズルは、一つピースをなくしたらかんせいできなくなります。わたしの家族も一人一人がとても大切なのです。わたしは今、とってもしあわせです。お父さん、お母さん、お兄ちゃん、わたしの四人がそろっているからです。家族がみんなそろっているという事はあたり前ではなく、とってもしあわせだと思います。これからもなかよしの四人家族でいたいです。


家族だいすき
  高岡市立成美小学校5年 水巻 想 

 ぼくは、妹とよくくだらないけんかをする。だから、少し仲が悪い。この前、妹はバレーボールの全国大会に行くことになった。県大会で優勝したから全国大会に行くというわけではないので、その話を聞いたぼくは、うらやましいと思ったし、なんだか悔しい。
 真夜中の1時半。妹はぼくのねている間に、静かに家を出発した。朝、起きると妹がいなかった。いつの間に出ていったのか分からなかった。夏休み毎朝、妹といっしょに行っているラジオ体そうに行く気にならない。いつも走って行っているが、妹がいなくなってから歩くことが多い。少しさみしいのだろうか。いや、そんなことはない。絶対ない。しかし、帰ってきて家でお母さんに「今ごろ何しとるかね」と聞いてしまった。その後も、何度もお母さんに妹が何をしているかを聞いてしまう。そのたびに「また聞いてしまった」と思う。やっぱり気になるのかな。そして、お父さんが妹の所へ応えんに行った。「なんで応えんに行くのだろう」と思いながら見送った。いつもは出かけるとき、ぼくに手をふらないお父さんだが、今日はふってくれた。なぜだろう。そして、走って行った。何で急いでいるのか不思議に思った。お父さんは北陸新幹線で行ったらしい。「とてもずるいな」と思った。だってぼくはまだ乗ったことがないから。今日の夜から、妹に続いてお父さんもいなくなったから3人ぐらしだ。いつもの笑いがあまりでない。つまらないな。3人になると、さすがに心細くなってきた。こんな日が続くとなると、ちょっといやになってきたな。ねるときも妹が横にいない。いつもぼくのふとんに入ってきて、ねているじゃまをする妹だけどいなかったらいやだ。いるほうがまだましだ。そして、いつの間にか早く帰ってきてくれないかなと心配をするようになっていた。こんなはずじゃないのに。
 そして、やっと妹が帰ってきた。ぼくがねているときに。また何も聞こえなかった。朝、起きると目の前に足があった。とてもびっくりした。やっと帰ってきたと思ったらまたこれか。もう、うんざりだ。妹が全国大会から帰ってきて、また五人家族にもどったよ。お母さんのつかれが倍ぞうだ。「早くしなさい」、またあの声がひびいている。でも、またにぎやかさがもどってきて、今はとても楽しいよ。やっぱりこれが一番だ。でもねているときに妹の足が目の前にあるのはかんべんしてほしいよ。
 来年は、ぼくが立山登山に行くよ。そのときはぼくのことをどんなふうに思っているかな。ぼくがいなくなってせいせいしているかな。それともさみしく思っているかな。どっちだろう。ぼくは、5人全員いたほうが絶対にいいな。妹もぼくがいなくなったらさみしいなと思うかな。けど、けんかばっかりしているからせいせいするかもな。ぼくとけんかばっかりしている妹だけど時には役立つことをするときもあるんだ。その時はとてもうれしい。だからやっぱり妹は家にいてほしい。妹は、ぼくにとって支えてくれている人だ。だからずっと家にいてほしい。


祖父と家族
  高岡市立中田中学校3年 山下 真礼 

「勉強はわかんがか。大丈夫か。」
私の祖父は、真面目で、几帳面で、厳しくて、優しい人だった。家族が一番で、家族のためなら、できることは何でもしてくれた。勉強が好きな祖父は、私に勉強を教えてくれた。私がちゃんと解けるようになるまで根気強く。いろんな所を知っている祖父は、時間を見つけては家族をドライブに連れていってくれた。少し荒っぽい運転だったけれど楽しかった。祖父は家族からとても頼りにされていたし、好かれていた。私も大好きな祖父だった。
ところが、私が小学4年生のとき、祖父に癌が見つかった。しかも、5年生存率は低いとのことだった。それから祖父は、癌を摘出するため入院、そして手術。しかし、手術当日、間が悪いことに私が風邪を引いてしまった。そのため、母は病院へ行けなかった。携帯電話を握りしめて心配そうな様子の母を見ていると、本当に申し訳なかった。手術は、成功。母の携帯に届いたメールには、酸素マスクと点滴を付けたまま、ベッドでピースをしている祖父の写真が付いていた。祖父の無事な姿、母の安心した顔が見られてほっとした。 
 十日程して祖父は退院。定期的に病院に検査を受けに行ったり、薬を飲んだり、家での闘病生活が始まった。今まで通りではないけれど、家族全員そろって過ごせるようになった。けれど、癌で体力がなくなってしまった祖父は出かけることが減って、家で過ごすことが多くなっていった。
「勉強は大丈夫か。」
家にいることが多くなった祖父は、私や弟に勉強を教えてくれることも前より多くなった。私は、小学校高学年で、もうすぐ中学生ということもあり、苦手な算数をたくさん教えてもらった。また、私と弟が勉強しやすいようにと、部屋の中の配置を大きく変えてくれたのもこの頃だった。癌のせいで動くのも辛そうだった。それなのに、私たちのためにと、いい部屋にしてくれた。何度も横になって休憩をとりながら。私たちのことを思ってしてくれたのはうれしかったけれど、横になっている祖父を見ると、大丈夫なのかと心配になった。
 祖父は、何でも記録している人だった。だから、癌になってからは、自分の容体も毎日記録していた。これには、病院の先生も驚いていた。血圧、体温、気分、毎日きちんと記録して、病院に行くと必ず先生に見せていたという。本当に真面目な人だ。
 癌が見つかったとき、5年生存率が低いと言われた祖父。けれど、私は、安心してしまっていた。なぜなら、そう言われてから2年が経っていたから。そんな保証はどこにもないのに、大丈夫だと思っていた。しかし、2年6か月が経った頃から、少しずつ祖父の容体が悪くなっていった。食事の量が減り、出かけることがなくなり、寝ていることが多くなった。そのため祖父は痩せ細り、入院することに。私は中学生になり、お見舞いになかなか行けずにいた。結局、私が行けたのは数週間経ってからだった。病室に入って怖くなった。あれからまた細くなっていたのだ。ベッドで丸くなって寝ていた祖父が私に気付いた。
「真礼か。数学はわかっとんがか。」
寝たまま。顔だけを動かして。起きたばかりだから声がかすれていた。そのせいでまた怖くなってしまった。けれど、弱っていても心配してくれたのがうれしかった。
2年9か月が経った、7月の終わりだった。深夜に電話が一本。
 祖父のいる病室からもれている電子音。しかし、もうリズムを刻んでいなかった。私たちが着いたときには、病室には祖父の兄の声が響いていた。名前を叫んでいた。怖かった。私が立ちすくんでいると、祖父の近くまで連れていかれた。祖父は、口をぱかっと開けていて、痩せこけていた。そこで私は、初めて死を身近に感じた。
 祖父は本当にいい人だった。家族が一番で、家族のためにいろんな面で頑張ってくれた。そして、本当にしっかりした人で、自分の葬式のことも自分で考えていたのには驚いた。「おじいちゃんは、残される家族のことを最後まで考えてくれたんやよ。家族を大事に思っとってくれたが。」と祖母は言った。本当にその通りだ。
 私は、そんな祖父が大好きだったし、これからもずっと大好きだ。祖父の孫に生まれることができて幸せだ。

富山県知事賞受賞作品(図画の部)

いもうと たんじょう!いもうと たんじょう!
   滑川市立東部小学校2年 太田 有香

わが家のブルーベリーおいしいねわが家のブルーベリーおいしいね
    高岡市立福岡小学校4年 西野 奎介

富山県知事賞受賞作品(ポスターの部)

上坂 大空高岡市立横田小学校6年 上坂 大空

寺山 可純高岡市立志貴野中学校3年 寺山 可純

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厚生部 子ども支援課 青少年係 電話:076-444-3136  [ お問い合わせフォーム
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