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「あいさつにまつわる いい話」優秀作品のご紹介

最終更新日:2016年7月6日

平成24年度「あいさつにまつわる いい話」最優秀賞受賞作品

【小学生の部】最優秀賞

題名「げんきにあいさつ」
 氷見市 1年 三野 光琉

 ぼくは、4月にめいわしょう学校ににゅう学しました。めいわしょう学校は、さかの上にあり、20ぷんくらいあるいて、とう下校しています。ぼくと5ねんせいのおにいちゃんがいえを出るとき、おかあさんやばあちゃん、いえにいる人が、
「いっておいで。」
といってくれます。ぼくとおにいちゃんは、
「いってきます。」
といって、しゅっぱつします。学校までに、たくさんいえやはたけがあり、あるいていると、たくさんの人とあいます。いっしょにあるいているおにいちゃんやおねえさんは、大きなこえで、
「おはようございます。」
とあいさつします。
 ぼくは、はじめてそれをきいたとき、とても大きなこえでびっくりしました。大きなこえであいさつすると、おとなの人は、
「おはよう。」
「きをつけてね。」
「がんばっていっておいで。」
「あついがにえらいね。」
などいろんなことをいってくれます。おとなの人たちがやさしくあいさつしてくれるので、ぼくはきもちよく学校まであるいていけます。だから、ぼくも大きなこえであいさつするようにがんばっています。でも、おにいちゃんに、
「ひかる、もっと大きいこえ出さんな、だめやよ。」
といわれます。2学きからは、もっと大きなこえであいさつするようにがんばりたいです。
 ぼくは、もう1つがんばっていることがあります。ぼくの学校はさかの上にあるので、ながいさかみちをのぼらなければいけません。ただあるくだけではありません。下からも上からもせんせいやおきゃくさんの車がくると、とまっておじぎをします。はじめはいっしょにあるいているおねえさんにおしえてもらいながらしていました。ぼくは、はやく学校につきたくて、いっしょうけんめいあるいていて、たまにわすれてしまうことがあります。ぼくたちがあいさつすると、車のまどをあけて、
「おはよう。」
といってくれるせんせい。にっこりわらっておじぎをしてくれるせんせい。手をふってくれるおとなの人。みんなぼくたちにげんきにあいさつしてくれます。だから、これからもわすれないように、とまっておじぎをしたいとおもいます。
 ぼくは、3月までおかあさんの車でほいくえんにいっていたので、こんなにたくさんのおとなの人にあいさつしたり、あいさつしてもらったりすることはなかったです。あるいて学校にいくのはつかれるけど、たくさんの人とあいさつできるたのしさがあるから、とてもうれしいです。ぼくのあいさつで、たくさんの人にげんきをあげられたらいいなとおもいます。

【中学生の部】最優秀賞

題名「あいさつがくれた安心」
 氷見市 1年 東海  周

 私は4月に、西條中学校に入学しました。西條中学校は、校区の南はしにあります。北側の一番はしにある祖母の家から、自転車での通学が始まります。小学校と比べて通学距離は倍以上になり、小学校の時には行ったことが無い、畑の中の道を通って中学校に通います。体が小さく、これまで運動できたえてきたわけでもない私が長距離の通学や知らない地域の通学路で困ることはないのか、祖母も両親も、とても心配していました。
 中学までの通学路は、途中までは小学校の通学路と重なっています。小学校へ6年間歩いて通った道沿いには、ある御夫婦がコンクリートの製品を作る仕事をしておられる場所があります。『地域のみなさんにあいさつをするよう心がけよう』小学校では、いつもそう言われていました。今となってはどちらが先だったのかは覚えていませんが、御夫婦を見かけると、「こんにちは」とあいさつするようになりました。御夫婦が飼っている犬のユウセイとも仲良くなりました。
 「こんにちは」から、そのおじさん、おばさんとはいろいろな話をするようになりました。お天気のこと、季節のこと、家族のこと、もちろん犬のユウセイのことも話しました。
 中学生になり、私は自転車通学に必死で、いつの間にか周囲にあいさつをすることが頭の中から消えていました。でも、ある日の部活動がない帰り道にユウセイの姿が目に入りました。「ワン」と吠えて勢いよくしっぽをふるユウセイを見て、私はうれしくなりました。自転車をとめて、ユウセイをいっぱいなでました。おじさんとおばさんにも中学校になってから初めてあいさつをして、学校の勉強のことや、剣道部に入ったことなどいろいろな話をしました。ユウセイやおじさん、おばさんと別れて自転車を走らせるとペダルが軽くなったような気がしました。これまで通学に緊張していた気持ちが解けていったのかもしれません。
 その日から、通学時にも周囲の景色がよく見えるようになりました。中学生になって初めて通るようになった畑の中の道では、夕方畑仕事をする人達を見かけます。「こんにちは。」自転車で走りながら目が合うと、畑の中のおじさんとあいさつするようになりました。5月になって、いつものようにあいさつすると、「いいあいさつだね。」と、ほめてくださるおじさんがいました。「いいあいさつだから、これを持っていかれ。取れたてだよ。」と、おじさんは、キャベツを1つ自転車のカゴに入れてくださいました。また別の日には、ちがう畑のおじさんから苺をいただきました。
 知らない道をただ必死に走っていては目につかなかったことが少しずつ見えるようになり、あいさつをすることで通学路を見守って下さる人達の心の温かさにふれることができました。家族は自転車に野菜や果物・竹の子などを入れてもらって帰ってくることにびっくりしています。
 慣れてきたかと思っていたところに、先日、ユウセイをなでてあげようと自転車を停めてヘルメットをカゴに入れたら、自転車がたおれてヘルメットが近くの川に落ちてしまいました。困っていると、あいさつもそこそこに、あのコンクリート屋さんの御夫婦がヘルメットをたもですくい上げ、水洗いして助けてくださいました。その話を家族にすると、「1人で拾おうとするのは危ない。知っている方に助けていただいて良かった。」と喜んでいました。
 あいさつが人と人とのつながりをつくり、その人達に見守っていただける安心を私は感じることができます。そのことが、私の中学校生活のスタートを応援してくれているように感じます。

【一般の部】最優秀賞

題名「心を開くあいさつ」
 大阪府大阪市 渡辺 廣之

 JRのある駅を降りて20分。線路沿いの急な坂道を登ったところに、私の勤務する高校があった。私がその坂道を登るのは始業時間の40分前。その時間帯に登校する生徒はさすがに少ない。それだけに、5月も連休明けになると、通勤通学仲間とでも言うべき何人かの顔見知りが出来てくる。
 坂道を半ば登った辺りで「先生、おはよう」と自転車通学の新入生が声を掛けてくる。4月当初、こちらから「おはよう」と声を掛けると、彼は「先生やなあ」と大阪弁で返事した。その翌朝は彼の方から「先生、何年生に何教えてるのん」と、あいさつがわりに尋ねてきた。それから数日後、彼は自転車を押しながら私と一緒に歩くようになっていた。そして、線路沿いの土手を眺めながら折々の思いを語ってくれた。「こんな所に空き缶捨てたらあかんなあ」と言って、土手に転がる缶を自転車の前籠に移したこともある。「この紫の花、きれいなあ」と、雨上がりに咲く可憐な露草の花に心を留めたこともある。
 ある朝、彼が所属する体育系クラブの顧問教師と同じ電車に乗り合わせた。「新入生の○○君、いつもこの時間に自転車で坂道を登って来ますよ」と私は言った。案の定、坂道の途中で彼の自転車の音が近付いてきた。いつもなら私の真横まで来ると「先生、おはよう」と言いながら自転車を降りる彼が、しかし、その日は少し手前で降りて「おはようございます」と背後から声を掛けてきた。「あれっ、今日は『先生、おはよう』じゃないの」と私が笑いながら言うと、顧問教師が「おまえ、他の先生には敬語を使っていないのか」と口を挟んだ。しまったと私は思った。
 改まった敬語が悪いと言うのではない。しかし、自然な大阪弁で心を開いてくれていた彼が、明日からは私を敬遠しつつぎこちなく口を開くようになると危惧したからである。
 あいさつは本来、人と人とが心を開くためのものである。だから、一方または相方が心を閉ざした状況で交わされるあいさつは、相手への配慮が行き届いたものであっても、心と心のコミュニケーションにはならない。
 素敵なあいさつとは、どのようなものを指すのだろうか。花にたとえれば、丹精込めて育てた鉢植えの菊だろうか。手入れの行き届いた庭園で一斉に咲く梅や桜だろうか。私のイメージは違う。線路沿いの土手に彼が見付けた、雑草に混じって咲く露草の花がふさわしい。何よりもまず自然である。そして、見過ごしてしまうほどにさりげなく、それでいて人の心にそっと訴えかけてくる。つまり、爽やかなあいさつの実例は、いたるところに散らばっているのだ。雑草や空き缶の陰に隠れて、日頃はその存在を見落としているに過ぎないのだと私は思う。
 教え子の結婚披露宴に招かれた際、新郎新婦から両親への花束贈呈というお決まりのメニューで、クライマックスを迎えた。そのとき、マイクを向けられた新郎側の朴訥な父親が「うまくやってくれよ」と、2人に頼むように言った。なんの飾りもない言葉なのに、招待客のだれもが心を打たれた。この言葉こそ、あいさつの原点ではないだろうか。
 話題を学校に戻せば、教室や廊下や運動場で、大勢の児童・生徒や教職員があいさつを交わす。それなのに、心を開いてコミュニケーションを図るのを忘れ、ついつい機械的なあいさつになっているのではないだろうか。
 「1度でいい。授業に感動した生徒を泣かせてみたかった。けれども、僕は生徒を笑わせてばかりだった」とは、先輩の元国語教師の離任のあいさつである。そのあいさつを聞きながら、私たち後輩はほのぼのとした笑顔に包まれた。心を開いて語りかけるあいさつは、それを聞く側の心も開いてくれるのだ。まさしく、あいさつは心と心のコミュニケーションなのだと思う。

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厚生部 子ども支援課 青少年係 電話:076-444-3136  [ お問い合わせフォーム
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