むかしあったとぉ〜(立山のちょっと昔の話)

  
G 中語(ちゅうご)と近迎(ちかむか)え

 
 前回は、私の家(宿坊)に来られた人達(道者衆と参連衆)を迎える様子について書きましたが、今回は、中語と近迎えについて書きたいと思います。

 「中語」とは、道者衆を立山へ道案内する人のことを言います。中語のことを別名、「中がたり人」とも言い、衆徒と専属契約を結んでいた人もありました。 道案内することでは、ガイドさんと同じに見えますが、ガイドさんと異なり、荷物を運ぶのが目的ではなく、客人の意志を霊に伝えたり、霊の意志を客人に伝え たりすることから表記の名が付いたと言います([中宮から頼まれ、道案内するため]という説もある)。

 道者衆とは、夕食後に顔合わせをし、明朝からの立山登拝について細部の打合せを行い、それぞれ荷物の整理を終え、早めに床につきます。中語は、翌朝3時 頃には宿坊に来て、客人の世話をし、4時過ぎには、宿坊の家族に見送られて出発し、道すがら旧所名跡等のいわれや伝説等を説明しながら立山まで案内しま す。

 一両日後、予定の時刻に合わせて、称名渓谷から道者衆と中語の姿が見えてきます。これに間に合うよう、宿坊では、客人の人数分の弁当(ご飯とおかず)を 背に藤橋までお迎えを出します。これを「近迎え」と言います。

  ――  ――  ――  ――

 称名滝の方から客人の姿が見え、「お帰りなさい」と、お迎えする。中語がすぐ茶屋へ行って、私が背負った弁当や、茶屋からの差し入れ、漬け物や煮染めで 支度をし、客人と杯を交わしながら腹ごしらえをする。1時間ぐらいで食事が終わり、客人に手招きで呼ばれて前に正座すると、「御苦労さん」と言われて小さ な紙包みを手渡される。「有難うございます」、裏庭に引き下がり、そっと紙包みを開くと、白く輝く五十銭銀貨が1枚。飛び上がる程嬉しい気持ちを抑えて、 帰路につく(後は、出迎えの時と同じ)。

 当時の50銭は、千垣駅〜南富山駅の往復に活動写真を見て、大国食堂で玉子丼を食べて家に帰ってきても、まだポケットに4〜5銭残る程で、この楽しみも 一夏に1回程度(2、3回目は、母親に預かられ、貯金にまわされる)であった。

 ――  ――  ――  ――

 この『むかしあったとぉ〜』も、今回で8回目、2年間続いたことになります。あまり長く続くのもなんですし、そろそろ一区切りさせていただきたいと思い ます。それでは、さいなら。