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 雄山神社  おやまじんじゃ
雄山神社

 雄山神社は、古くから武将の崇敬を受け、
富山城主佐々成政も、天正11年(1583)芦峅寺うば堂に燈明 銭として66俵分を寄進し、翌天正12年に中宮寺の寺領として芦峅寺、本宮の領有と守護の 不入をみとめました。

 しかし、天正13年8月、富山城主佐々成政討伐のため軍をすすめた豊臣秀吉により、当芦峅寺がことごとく焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失っています。
 このことについては、『東は立山ウバダウつるぎの山の麓まで令放火候』と、秀吉が藤三蔵ら5名の近畿大名に送った文書が高野山に残されています。
 また、「続群書類抄」には『至リ越後界二、立山、劔、祖母堂、廻シ人数ヲ』と載せられています。

 佐々氏の後に越中を治めた加賀藩においても初代藩主前田利家が、うば堂に米百俵の地を寄進 し、社地4260歩と神輿2基・神器を寄進したほか、歴代藩主の崇敬保護が深かったことは数々の遺品古文書から 明らかです。

 しかし、長きにわたった立山信仰も、明治維新の「神仏分離令」により、うば堂・閻魔堂・帝釈堂・講堂等の建物は、取り払われました。