富山県立近代美術館ウェブサイトへようこそ
企画展へ
welcome

トップ常設展 > 常設IV

常設展

常設W

常設展示室4

富山県出身の詩人・美術評論家、瀧口修造の作品や旧所蔵作品などを展示します。

海外作家と瀧口修造

常設W

 瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。今回はこのコレクションから、小特集「瀧口修造とデカルコマニー」と題して、《私の心臓は時を刻む》をはじめとする作品から、作り手としての瀧口を紹介します。

ページの先頭に戻る↑

常設IV これまでの記録

以下は、すでに終了した展示の記録です。

海外作家と瀧口修造

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。 当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。 今回は、瀧口と親交の深かった海外の作家たちの作品を中心に、このコレクションのダイジェスト版を紹介します。

夢の漂流物

 瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。 当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。  今回は、「夢の漂流物」と題し、このコレクションのダイジェスト版として、国内外の作家たちの作品や、無名のオブジェの一部を紹介します。

「物々控」と書斎の宇宙

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴ  ニール(思い出の品)であるといえます。 今回の展示では、瀧口がこれらのモノについて寄せた言葉や晩年に夢想した「オブジェの店」の構想について論じた『物々控』の写真図版に近い形での展示をおこない、晩年の瀧口の思想を探ります。

瀧口修造と読売アンデパンダン展の作家たち

読売アンデパンダン展は、読売新聞社が主催し東京都美術館を会場として、1949年(昭和24年) から1963年(昭和38年)までの全15回にわたって出品作品を無鑑査で展示した展覧会です。戦後復興さなかの日本の美術界では、様々な展覧会が開かれるようになっていましたが、無名の若手作家が公募展や美術団体展以外で作品発表の機会を持つのは難しいことでした。その状況のなかで、誰でも自由に出品することができるうえ無鑑査というアンデパンダン形式の展覧会は、新鮮な発表の場として作家たちに迎えられていきました。 瀧口は、この展覧会の批評執筆の依頼を受けたことを契機に、先鋭的な表現が誕生する場を見つめていくこととなります。また、同じ時期に瀧口は、無償で作家選定にあたったタケミヤ画廊の活動 (1951〜57年)にも携わっています。これら二つの新しい形式の作品発表の場を通して、瀧口は既成の枠にとらわれない新人作家たちと出会い、交流を深めていきました。
読売アンデパンダン展が始まった1950年代初頭は、美術団体を超えた作品発表の場のようであったといいますが、やがて利根山光人、河原温、池田龍雄など特定の団体に属さない新人作家が参加するようになります。1950年代後半頃からは、後にネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ(赤瀬川原平、荒川修作、篠原有司男、吉村益信など)や、ハイレッド・センター(赤瀬川、高松次郎、中西夏之) といった先鋭的なムーブメントをおこす作家たちの登場や、地方での先鋭的な芸術表現に目が向けられる契機ともなりました。
やがて、既存の美術の枠組みに異を唱える反芸術の傾向のなかで、廃物を用いた作品や身体をつかったイベントが作品として登場したことが出品規制の引き金となり、1963年の第15回展で読売アンデパンダン展は終了します。反芸術の集団的な熱気のなか、瀧口は、芸術表現が個としての強さを持つべきという思いを抱き、最終回を待たずに、第14回展をもって展覧会への批評を終えました。
しかし、この展覧会の開催形態や、従来の絵画・彫刻の枠組みでは捉えられない表現の登場などは、その後の日本の現代美術の展開に様々な問題を提起することとなったのです。
今回の展示では、「瀧口修造コレクション」より、読売アンデパンダン展に作品を寄せた作家たちによる、1950、60年代の作品を中心に紹介します。

瀧口修造 私の心臓は時を刻む

瀧口修造(富山県出身、1903-1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた「瀧口修造コレクション」には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら“瀧口の書斎にたどり着いたモノたち”によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。
今回は、作り手としての瀧口の代表作である、デカルコマニーの連作「私の心臓は時を刻む」を展示します。

タケミヤ画廊の作家たち

瀧口修造(富山県出身、1903-1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた「瀧口修造コレクション」には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら“瀧口の書斎にたどり着いたモノたち”によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。
今回の展示では、小特集「タケミヤ画廊の作家たち」として、この画廊の活動を通じて結ばれた、瀧口と当時の若手作家たちとの交流を紹介します。

ミロと瀧口修造

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。今回は、小特集「ミロと瀧口修造」と題してジョアン・ミロとの交流に関連する作品・資料を紹介します。また、瀧口修造が富山で行った講演の自筆原稿を初めて展示します。

夢の漂流物―瀧口修造コレクション

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。 当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。 今回はこのコレクションのダイジェスト版として、国内外の作家たちの作品や、無名のオブジェの一部を紹介します。

瀧口修造とローズ・セラヴィ

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。 当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。 今回はこのコレクションから、小特集「瀧口修造とローズ・セラヴィ」と題して、マルセル・デュシャンとの交流に関連する作品・資料を中心に紹介します。

瀧口修造と実験工房

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。
当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。
今回はこのコレクションから、小特集「瀧口修造と実験工房」と題して、1950年代に活動を展開した若手芸術家のグループ「実験工房」に関連する作品・資料を紹介します。

瀧口修造とデカルコマニー

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちから贈られた様々な作品と、親しかった誰かの旅の土産や瀧口が拾ったかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であるといえます。今回はこのコレクションから、小特集「瀧口修造とデカルコマニー」と題して、《私の心臓は時を刻む》をはじめとする作品から、作り手としての瀧口を紹介します。

再現:物々控(ものものひかえ) 瀧口修造コレクション

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館の〈瀧口修造コレクション〉では、国内外の作家たちから瀧口に贈られた様々な作品と、誰かの旅の土産や瀧口が拾ったのかもしれない石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。これら"瀧口の書斎にたどり着いたモノたち"によるコレクションは、多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスブニール(思い出の品)であるといえます。 今期は、瀧口がこれら書斎のモノたちに寄せた言葉とともに「オブジェの店」について綴ったテキスト「物々控」をテーマとして、作品や資料を紹介します。

瀧口修造のおくりもの

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、 詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛的な芸術表現を見つめ、擁護した存在として知られています。当館に収められた〈瀧口修造コレクション〉には、国内外の作家たちからの様々な作品や、親しい友人からの土産、あるいは石ころ、貝殻などが区別されることなく共存しています。瀧口という存在で結ばれ、"瀧口の書斎にたどり着いたものたち"から、どんなささやきが聞こえるでしょうか。多領域にわたる作家たちと瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)であり、瀧口への贈りものであった、瀧口修造コレクションをご紹介します。

夢の漂流物

瀧口修造(富山県出身、1903〜1979)は、詩作と美術評論を軸に、戦前はシュルレアリスムを日本に紹介した一人として、戦後は国内外の前衛芸術を擁護した存在として知られています。〈瀧口修造コレクション〉は、国内外の作家たちから贈られた作品と旅の土産の貝殻が共存する、瀧口との交流のスヴニール(思い出の品)と呼べるものです。今回は「夢の漂流物」のテーマのもと、コレクションの作品や無名のオブジェなどをダイジェストで紹介します。

ページの先頭に戻る↑