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日本を代表する作家、郷土の作家、充実した版画コレクションなどを随時ご紹介します。
「ポップアート」とは、大衆的な芸術を意味する英語(Popular art)の略語です。第二次世界大戦後の大量生産、大量消費の時代にあって、これまで芸術とは見なされていなかったもの ― 身のまわりにあふれる日常品や、映画・コミックなどの大衆文化を取り入れ、1950年代半ばにロンドンで始まり、1960年代にはニューヨークを中心に華やかに展開しました。またマス・メディアやコマーシャルの世界とも密接に関わり、版画を主要な表現方法として積極的に制作し、オリジナリティと複製技術についての重要な視点を提供したのもポップアートの作家たちでした。今回の展覧会では、現在の美術に大きく影響を与え、世界中の人々に愛されているポップアートとその版画作品に焦点をあてます。
常設III これまでの記録
以下は、すでに終了した展示の記録です。
パウル・クレー(1879-1940)は、リズミカルな線描や詩情豊かな色彩が特徴的な画家です。幼少の頃から音楽に興味をもち、画家の道にすすんでからも音楽というテーマは大きな位置をしめました。一方、ワシリー・カンディンスキー(1866〜1944)は、印象主義のもつ色彩の表現力に衝撃をうけ画家を志しました。音楽を愛し、音の重なりと同様、絵画でも色彩と形態といった要素を組み合わせ、抽象絵画の創始者となりました。二人は、カンディンスキーが1911年に創設した、先駆的な芸術家集団「青騎士」(ブラウエ・ライター)をとおして交流し、後に美術学校「バウハウス」でも共に教鞭をとりました。絵画と音楽を共通項とした二人は、絵画表現での色彩や形態といった要素について、理論、制作の双方において研究に取り組み、20世紀絵画を大きく開拓することになったのです。
今回は、日本の抽象絵画の先駆的作家の作品を紹介しています。第二次世界大戦後、日本の美術界では、村井正誠、山口長男たちによって、色面による重厚で存在感ある抽象的表現の追求がなされます。また、パリでは、今井俊満や堂本尚郎たちがアンフォルメル(フランス語で「非定形」の意味)運動に参加し、精力的な創作活動を展開していきます。こうした国際的な動きの中で、作家たちはそれぞれ独自の絵画世界を展開していきました。
20世紀を代表するヴァイオリニストで指揮者であった故シモン・ゴールドベルク氏は、夫人でピアニストの山根美代子氏と共に、最晩年を立山山麓(旧大山町)で過ごしました。生前、彼は自身の人生観や芸術観と共鳴する美術作品を収集し、常に手元に置き大切にしていました。夫の死後、それを受け継いだ夫人は、作品が当館の収集方針に合致することと、夫の終焉の地となった富山の多くの人々に鑑賞してもらいたいとの思いから、ご寄贈くださいました。今回の展覧会では、シモン・ゴールドベルク氏の生誕100年を記念して、ご夫妻が常に身近に飾り守りつづけられた、寄贈作品全19点をご紹介いたします。
戦中から戦後にかけて富山県を訪れた、いわゆる「疎開作家」による刺激は、郷土の美術状況を急激に活性化します。画壇の第一線で活躍する作家たちとの交流は、苦しい時代の中でも富山の文化人や若き画学生たちに大きな希望と指標を与えたのです。戦後いち早く創設された「県展」は"作家の登竜門"の役割を着実に果たし、以後の郷土の美術を牽引していく多くの作家がここから巣立ちました。やがて県展は、鑑査、審査の主軸を担った疎開作家たちの帰京に伴い、その都度中央から招く審査員に主要賞の決定を委ねましたが、審査員の選考をめぐり、いわゆる"官展系"と"在野系"の対立も生じました。国際化、情報化のうねりの中から、東京へ、世界へとはばたくもの、地域の美術の基盤を築いていくもの。熱い青春の群像が数多くそこにあったのです。
シュルレアリスムは1920年代のフランスで生まれた芸術運動です。日本語訳は超現実主義です。主唱したのはフランスの詩人のアンドレ・ブルトンでした。 多くの人々を傷つけた第一次世界大戦を体験したブルトンは、人間性を回復するためには、西洋文明を築いたギリシア哲学やデカルトを代表とする主知主義・合理主義を乗り越える思想を打ち出さなければいけないと考えました。ブルトンが注目したのは、合理主義が黙殺してきた心の深層にある非合理な衝動や夢でした。19世紀末に生まれたフロイトの精神分析の思想がブルトンに多大な影響を与えたのです。 今回は、当館のコレクションから、シュルレアリスムの精神を伝える版画作品を紹介いたします。
第2次世界大戦の敗戦で意気消沈した美術界に活力を与えたのが版画でした。1951年(昭和26)にサンパウロ・ビエンナーレで駒井哲郎らが版画で受賞します。1955年(昭和30)に同ビエンナーレで棟方志功が最優秀賞に輝き、翌年には伝統あるヴェネチア・ビエンナーレで同じく棟方がグランプリを獲得しました。日本の美術界のみならず、明るい話題として一般の人々にも自信を与えました。
その後も日本の版画は世界中の様々な美術展で受賞を重ね、一足先に国際化を成し遂げました。その勢いで1957年(昭和32)に東京国際版画ビエンナーレが開かれ、世界の版画の中心として日本は名乗りを上げました。1960年代以降、名実ともに日本は「版画大国」となります。
今回は、当館所蔵の版画作品から、当時の大きなうねりと熱気を伝える作品を紹介いたします。
平成17年に開催した企画展「とやまの洋画史 入門編」の機会に、富山県の明治期における洋画の状況をはじめて調査しました。今回の小展示では、その後に明らかになった新事実や、ご寄贈いただいた新収蔵作品を紹介いたします。
田部英嘉は、明治20年前後に京都府画学校西宗で洋画を学んだ、富山県最初の洋画家です。旧制富山中学校に赴任した矢野倫真の油画も貴重な新発見で、120年の時代を超えた二人の友情をご覧いただきます。
東京美術学校で洋画を学んだ五島健三は、明治40年、第1回文展に富山県人として唯一入選した洋画家です。スケッチブック、書簡等の関連資料と併せ、ご紹介します。
昭和16年、県内から第4回新文展に入選した川辺外治は、以後の県内洋画の発展に大きな影響を残した画家です。田部から川辺までのあゆみが、富山の洋画の黎明期と言えるでしょう。
マルク・シャガールは1887年に白ロシア(現ベラルーシ)のヴィテブスクに、ユダヤ人一家の長男として生まれました。1910年にパリに出て、立体派などの前衛美術の影響を受けました。一時帰国して、革命後のソビエト新政府の美術教育に関わりましたが、意見の対立から出国し、その後はフランスを制作の拠点に活躍し、1985年に地中海に面したサン=ポール・ド・ヴァンスの自宅で亡くなりました。
シャガールは豊かな色彩画家として知られていますが、第2次世界大戦前はモノクロームの銅版画制作に集中しました。特に銅版画の挿絵が100枚にも及ぶ大型の挿絵本――ゴーゴリの『死せる魂』、『ラ・フォンテーヌの寓話』、『バイブル』はのちに「シャガールの3大挿絵本」と呼ばれるようになります。本展覧会では、館所蔵の『バイブル』(105点組)の挿絵を展示し、シャガールが描いた「聖書の世界」を紹介します。
富山を愛し、富山で生涯を終えた世界的なバイオリニスト、シモン・ゴールドベルク(1909〜1993)。彼が生前に収集し、妻であるピアニスト、山根美代子が受け継いだコレクションが、昨年、当館に寄贈されました。この音楽家からの珠玉の“おくりもの”を、常設IIIで展示いたします。
富山県出身の前田常作は、昭和32年、第1回国際青年美術家展で大賞を受賞したのを機に渡仏。記号化された人体を円形に密集させた構図の作品が、パリでの個展で批評家ジェレンスキーに“マンダラ”と評されたことに暗示を受け、以後、曼荼羅を主題とした制作を展開。緻密な構成で宇宙的な荘厳な雰囲気を描き出す作品は、現代の密教的絵画として注目を集めています。この展示では初期作品、滞欧作をはじめ、「西国巡礼」シリーズの版画など、独自の画境を拓いてきた前田常作の芸術の世界を紹介します。