小竹貝塚の概要

小竹貝塚は、富山県のほぼ中央に位置する呉羽(くれは)丘陵と、その北に広がる射水(いみず)平野との接点に位置しています。 貝塚は、縄文時代前期後葉(約6,000年前)を中心とする500年間営まれました。
現在、貝塚は海岸線から約4㎞離れた、標高約3mの内陸部に位置しています。しかし、貝塚の時期は縄文海進の影響で貝塚のすぐそばまで海水と淡水が入り混じった汽水域の潟湖が広がっていました。
平成21・22年度の北陸新幹線建設工事に先立つ発掘調査で、貝塚は現地表下約2mに広がり、貝殻の廃棄域以外にも、墓域・住居域・生産加工域などをもつ通年定住型の集落であることが分かりました。
大半を汽水産のヤマトシジミで占められた貝層の厚さは2mを超え、日本海側最大級といわれます。 貝殻の廃棄域には墓域も含まれ、ここから縄文時代前期としては全国最多となる91体の埋葬人骨が出土しました。 この他、木製品や骨角器など、残りにくい有機質の遺物が非常に良好な状態で出土しました。

貝塚の発掘史

小竹貝塚は昭和20年代にその存在が推定され、当時呉羽中学校教諭であった高瀬保氏らによりその存在が確認されました。 初期の調査には地元の方をはじめ呉羽中学校の生徒が協力しています。

主な調査

年代
調査内容
昭和20年代
海老江久良氏が踏査を行い貝塚の存在を確信
昭和33年
高瀬保氏が北陸電力の高圧高架線鉄塔工事中の出土遺物について聞き取り
高瀬氏が猪島吉安氏らの協力をえて、呉羽中学校生徒と共に貝塚確認の試掘調査を行う
高瀬氏が付近の民家から井戸掘削時の様子を聴取
昭和39年
岡崎卯一氏が富山大学生・富山北部高校生と試掘を行う
(出土遺物のC14年代測定を実施)
昭和46年
富山県教委が本調査を実施
(貝層と人骨1体を確認)
吉久登・本江洋氏が新鍛冶川の川底で資料採取
昭和47年
富山市教育委員会、富山大学地学研究室の協力を得て、貝塚範囲確認調査
平成19年
富山県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所(以下、埋蔵文化財調査事務所)が北陸新幹線建設に先立つ試掘調査
平成20年
富山市教委が新鍛冶川の護岸工事に先立つ調査
(人骨・貝層・住居跡を確認)
平成21年
埋蔵文化財調査事務所、北陸新幹線建設に先立つ本調査〔A地区〕(住居跡の確認)
平成22年
埋蔵文化財調査事務所、北陸新幹線建設に先立つ本調査〔B・C地区〕(91体の人骨が出土)
平成25年
富山市教委、道水路付け替えに先立つ調査

貝塚内の土地利用

これまでの発掘調査のデータを基に、周辺の微地形を復元し、集落内の土地利用との関係を推定しました。
 地形的には比較的標高の高い場所が南から舌状に張出し、西側から浅い谷が入っています。住居域は高い場所に、谷への落ち際には墓域(古い廃棄域を利用) があり、その外には廃棄域(貝層)が広がっています。谷の奥には木製品などの加工場がありました。復元図もこれを基に作成しています。

周辺地図

小竹貝塚案内看板

小竹貝塚案内看板

小竹貝塚の案内看板です。音声によるガイド付き。

蜆ヶ森貝塚(白鬚神社)

蜆ヶ森貝塚(白鬚神社)

境内の下に小竹貝塚とほぼ同時期の貝塚が広がっています。

姉倉比賣神社

姉倉比賣神社

蜆ヶ森貝塚にまつわる伝説が伝わっています。

北代縄文館

北代縄文館

国指定史跡「北代遺跡」の展示施設です。

富山市民俗民俗芸村

富山市民俗民俗芸村

郷土の自然景観と調和した建造物集落の性格を生かした歴史、民俗、民芸、美術に関する保存・活用施設です。

富山県埋蔵文化財センター

富山県埋蔵文化財センター

小竹貝塚をはじめ、県内から発掘された出土品を多数、収蔵・展示しています。