更新日:2021年3月25日

ここから本文です。

住民たちが勝ち取った裁判

1968(昭和43)年、三井金属鉱業を相手に裁判を起こし、1971(昭和46)年の1審で、全国の公害病関係裁判の中ではじめて住民側勝訴の判決を得ました。さらに、2審でも1972(昭和47)年、住民側が全面勝訴しました。

この裁判は、被害住民の大半が参加し、原告数が合計506人にも及ぶ、当時、日本裁判史上例のない大規模なものでした。

裁判の争点

裁判では、イタイイタイ病と神岡鉱山が排出したカドミウムとの因果関係が最大の争点となっていました。

住民側は、イタイイタイ病の発生場所や時間が限定されていること、また、発生地域が農業被害地域と一致していることなどを根拠に鉱毒との因果関係があると主張しました。

一方、三井金属鉱業側はカドミウムによる人体への影響やその仕組みが解明されないと因果関係があるとはいえないと主張し争いました。

お問い合わせ

所属課室:厚生部イタイイタイ病資料館 

〒939-8224 富山市友杉151 

電話番号:076-428-0830

ファックス番号:076-428-0833

関連情報

 

このページに知りたい情報がない場合は

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?