(2)イタイイタイ病の発生と被害(ひがい)の実態(じったい)
ものしりクイズに挑戦
神通川流域の農業や漁業の異変(いへん)と神岡鉱山
- 実り豊(ゆた)かだった神通川(じんづうがわ)の流域(りゅういき)でしたが、明治時代の中ごろからイネの育ちが悪くなることが増(ふ)えはじめました。
- 大正時代になると、農家の人たちが、イネの実りが悪いのは、神通川(じんづうがわ)上流の神岡鉱山(かみおかこうざん)からの鉱毒が原因(げんいん)ではないかと考え、国や県にうったえはじめました。
- 漁業団体(だんたい)も、神岡鉱山に対して、鉱山から出される水の改善(かいぜん)を求めました。
不思議な病気も広がる
- 農業や漁業に被害が出るとともに、神通川流域に原因(げんいん)の分からない不思議な病気に苦しめられる人たちが現(あらわ)れるようになりました。
- その病気は、はじめは腰(こし)や肩(かた)、ひざなどがいたくなり、さらに病気が進むと、全身のさまざまな部分がひどくいたくなって、ほんの少し、つまずいたりころんだりしただけでも骨折(こっせつ)してしまうというものでした
病気は「イタイイタイ病」と命名された
- 病気になった人が、みな「イタイ、イタイ」と泣きさけぶので、この病気は「イタイイタイ病」と名付けられ、1955(昭和30)年に初めて新聞で報道(ほうどう)されました。
- そして、まだ原因が分からなかったため、一度かかると治らない病気として、この地域ではだれからもおそれられるようになりました。
はじめて「イタイイタイ病」を伝えた新聞記事
『富山新聞』1955(昭和30)年8月4日