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富山県、その現在・過去・未来(連載第1回)
=県づくりの課題と方向を巡る一考察=
計画課長 中島 誠(写真)

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Key words(あいうえお順)
遊ぶ, 行きたい県, 癒す, 現在・過去・未来, 交流人口,
個の確立, 柴田理恵, 社会移動率, 新国民生活指標, 住みたい県, 住みよい県,
住みよさ, 住む, 育てる, 多様な価値観, 知事, 中島 誠, 日本一,
バーチャルシンポジウム, 働く, 交わる, 学ぶ , 迷い道,
水の美味しさ, ミネラルウォーターのプール, 豊かさ, 横綱,
ライフスタイル, 渡辺真知子
「豊かさ」日本一とされる富山県。 しかし、県民の間からは、そうした実感がないとの声も聞かれる。本稿は、そうした乖離の原因を、
  1. 当たり前の豊かさ
  2. ハードの豊かさ
  3. 旧来の豊かさ
の三点に求め、そこから、富山県の未来を考えていく際の重要なファクターを抽出し、提示するものである。本県の現在を評価し、過去を照射し、そして未来を展望する第一弾。

はじめに
 「富山県、その現在・過去・未来」ということで、数回にわたり連載をさせていただくことになりました。
 ♪♪現在、過去、未来・・・♪♪などと言えば、私の世代の方はすぐにピーンとくると思いますが、今から20年程前に流行していた渡辺真知子の「迷い道」の唄い出しの部分です。この連載自身、唄の題名のように、迷い道に入ってしまうような不安を感じながら、筆を進めて行きたいと考えています。
 また、本県が抱えている課題をかなり強調した形での記述になっています。今回の連載を契機に、皆さんから御意見・御感想をお聞かせいただき、直すべき点は直し、自信を持てる点は自信を持ちたいと思っています。
 そこで、今回は、「富山県、その現在」について語ることとしましょう。
第1回 富山県、その現在
1 「豊かさ日本一

 さて、富山県は住みよさや豊かさの点で日本一と言われていることがよく伝えられます。もっとも県民の方々の間には、御存知ない方も結構おられ、「実感がないちゃー。」との声もよく聞かれるところです。

 そこで、住みよさとか豊かさとかいう評価がどういうところから来ているのかを、まずは検証してみる必要がありそうです。ここでは、最も良くとりあげられる経済企画庁の新国民生活指標(平成8年版)(表)に即して眺めてみましょう。

 こうした評価に、特に私のように県外から来た者にとっては納得できる点が多いものの、「遊ぶ」分野での全国第5位をはじめとして、特に若い人からは疑問の声が上がっていることも事実です。

 そこで、こうした客観的数値と、県民から聞こえてくる、住みよさ、豊かさの実感のなさとの乖離の原因は、一体どこにあるのでしょうか。


2 「豊かさ」の基準
 こうした乖離の原因として、私は次の3つの理由があるような気がしています。

(1) 当たり前の豊かさ
 まずは、県民の方が、本県の豊かさを子供の頃から当たり前のこととして暮らしてきているということです。

 本県の人々の社会移動率が例年極めて低いことに表れているように、人の出入りが少なく、交流に乏しいのが本県の特色です。平成6年の数値(表)で見ると、
こうしたことを見ると、本県では、異質なものとの出会いの機会が少なく、交流を通じて自らを他者と比較して見る機会に恵まれていないのではないかという感じがします。

 日本にずっと住んでいると、我が国が今や世界に冠たる経済大国であるという実感が湧きませんが、一度外国に出てみると、日本の経済力のすごさをまざまざと知るわけです。

 私のように水道水が臭いというのは当然である関西生まれの人間からすると、富山の水の美味しさは格別です。しかし、富山の子供達は、まさか自分がミネラルウォーターのプールで泳いでいるとはついぞ知りません。

 また、交流のもたらす意義は、他者との比較の機会を生み出すことだけにとどまるものではありません。国土庁が、96年度中を目途に策定を予定している新しい全国総合開発計画について、その基本的な考え方を示した“21世紀の国土のグランドデザイン”(昨年12月公表)では、

今後は人口減少地域が拡大していくものと見込まれることから、各地域における人口の定住促進を図るとともに、他地域との交流に着目した「交流人口」の考え方に基づく施策を展開することも重要である。
旨が述べられており、交流の促進が今後の地域活性化の鍵を握るともされているのです。

 要するに、交流を促進し、地域の活性化を図るとともに、幅広い視野の中で他者と比較し、自己を相対化する。そして、改めて郷土の有する価値を再認識し、誇りを持つことが今後求められるのではないかということです。


(2) ハードの豊かさ
 本年2月25日(日)、前年に引き続き、人口問題シンポジウム第2弾「とやまのまちに、にぎわいを」を開催しました。「住みよい」とされる本県がさらに若者にとっても「住みよい」と思える県へ飛躍することを目指し、若者にとって本県が特にその魅力に欠けるとされる街の賑わいについて、パネリストの方々に議論を戦わせていただきました。

 このシンポジウムは、昨年11月本県のインターネットホームページの開設に伴うバーチャルシンポジウムとタイアップして行われたものです。バーチャルシンポジウムは、インターネットの持つ双方向性を最大限に活用し、県民の県政への参画という観点から、本県の最重要課題の一つである人口問題に対する県民の意見表明、さらには意見交換を試みようとしたもので、全国初の試みとして、日経新聞全国版、NHK衛星放送でもとりあげられ、御覧になった方もいるかと思います。

 さて、このシンポジウムにパネリストとして御参加いただいた八尾町出身のWAHAHA本舗の看板女優、NHKテレビ「週刊こどもニュース」のお母さん役でお馴染みの柴田理恵さんから、次のような意見が出され、会場から多くの賛同が寄せられました。

こうした発言から読み取れることは、豊かさというのは、具体的には音楽ホールがいくつあるとか、体育施設がどれだけあるかということだけにとどまるものではなく、施設の立地環境(都市機能の集積)やそこで展開されるプログラム、また何時迄開館しているのかといった利用形態や利用条件など、そのハードがどれだけ使いやすく快適なものになっているかという精神的な満足度も含めたものということです。しかし、そうした面は指標化が難しいこともあって、指標化されているものは、目に見えて形として現れるハードにまつわるものが大半にならざるを得ないということです。

 指標に表われるハードが充実しているにもかかわらず、それに満足を覚えていないということならば、その使い勝手や使い心地に問題があるのではないかというわけです。即ち、機能主義一辺倒ではなく、施設の立地環境と快適さなどの精神的な満足度の向上が、課題として残っているということです。


(3) 旧来の豊かさ
 最後は、豊かさを巡る価値観は、時代や世代によって変遷しており、これからの時代や若い世代における豊かさは、これまで先人の努力により培われた豊かさにとどまるものではなく、それらの基礎の上に築かれる新たな豊かさであるということです。また、あえて強い言い方をすれば、豊かであることを当然自明のこととして育ってきた現代の若者にとっては、豊かさの例証が、逆にその人の精神や行動の自由を束縛するものに映っている場合すらあるのではないでしょうか。

 つまり、指標化されている豊かさの中身というのは、これまでの価値観から見たものであって、必ずしもそれらが将来にわたってそのまま豊かさを構成する主要な要素であるとは言えないのではないかということです。

 実は豊かさ日本一をされている本県が、最下位も含めて全国的にかなり低位に位置している項目として(表)
などがあります(実は高校野球や駅伝などマスコミに良くとりあげられるスポーツに弱いのも頭痛の種です。)

 経済のサービス化、女性の社会進出、交流人口の増加といった新たな時代潮流に鑑みると、本県においてそれらの項目が低位にあることの意味は、重く受け止められる必要がありそうです。

 また、項目中、「持家比率」や「老人クラブ加入率」などの全国第一位は誇りにできることではありますが、仮にその背景に、家を持ったり、老人クラブに加入するのが当然だという常識、それが転じて社会的なプレッシャーが存在するのだとすれば、個の確立、多様なライフスタイルの実現という点からは歓迎できることではありません。

 つまり、旧来の豊かさ観だけに拘泥せず、時代に応じた多様な豊かさ観を許容し、さらにはそれを追求していくことが大切だということです。


3 横綱不在の中での日本一
 以上、「豊かさ」日本一とされる際の「豊かさ」の基準を、3つの観点から眺め直してみたわけです。そして、そこから浮かび上がった3つの課題、即ち、
  1. 地域の活性化と他者との比較を図る交流の促進
  2. 施設の立地環境(都市機能の集積)と快適さなどの精神的な満足度の重視
  3. 県民の間の多様な価値観の醸成
は、富山県、その未来を考える際に、極めて重要なファクターとなるような気がします。

 確かに、「豊かさ」日本一とされることは喜ばしく、有難いことであり、この「豊かさ」を築いてくれた先人達に感謝しなければなりません。しかし、中沖知事がよく言うように、これは、いわば横綱不在の中での日本一であり、決してこれに甘んじてはいけないと思います。

 今後は、横綱在位の中での日本一を目指し、県民一人ひとりが豊かさを実感でき、また、他県の人も富山県に行きたく、また住みたくなるような県にすること、すなわち「住みよい県」から「行きたい県住みたい県」にすることに、ますます努力していかなければならないのです。

 そこで、次回は、こうした「豊かさ」日本一を築いてきた富山県の軌跡、そしてその中で培われてきた本県の特性を、富山県、その過去として眺め、今後の県づくりの方向を考えていく際の縁(よすが)にしたいと思います。
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中島 誠(なかじま まこと)
1960年兵庫県尼崎市生まれ。1984年厚生省入省、医務局、大臣官房、フランス疾病保険金庫、経済企画庁、老人保健福祉局、保険局、社会保険庁を経て、1993年富山県へ赴任。